2012-10-17 00:46 | カテゴリ:宮沢賢治
先日ご紹介した学習漫画「宮沢賢治」の話、みなさんご記憶でしょうか。
あれの続きというわけではないのですが、また宮沢賢治の学習漫画の話題です。
今度は集英社のではなく、小学館から発売されている学習漫画の方を読んでみました。

「小学館版 学習まんが人物館 銀河を旅したイーハトーブの童話詩人 宮沢賢治」




この漫画を描いているのは、なんとあの村野守美先生です。
中々のビッグネームですね。
コミック乱で昔連載していた村野先生の「酒呑童子」面白かったなあ。結局適当なところで終わってしまったけど、人気なかったのかなあ。

その村野先生の絵は独特のタッチで柔らかく温かい印象があります。
そして線が単純で、師匠筋に当たる手塚治虫先生のタッチをどこか彷彿とさせる。
しかし惜しむらくは、以前読んだ前述の「酒呑童子」などと比較して、絵が明らかに手抜きっぽいのですよ。
コマ割り、構図の取り方などには流石…!と思わせる部分が多々あるのですが、いかんせんキャラクターの造形があまりにも淡白すぎ、簡略化されすぎです。
なんでなんだろうな、丁寧に仕事しているとは思うのですけど、どうにも手抜き感がつきまとう感じなんです。
もしかしたら忙しい時に片手間で描いたとか、いやいややった仕事なのかしら。
村野先生は潮出版社から出ている「宮沢賢治漫画館」でも「鹿踊りのはじまり」などの漫画を描いておられましたので、なかなかの賢治好きなのではないかと僕は見ていたのですが…。
残念だなあ…。

お話の内容のほうなのですが、一言で言うならば、良くも悪くも「学習漫画」的です。
集英社版は学習漫画と言うよりも「漫画」として扱ったほうが良いファンタジックな内容に仕上がっていましたが(正しく賢治の童話のような)、こちらは本当に、賢治の一生を淡々となぞっただけなのです。何の盛り上がりもないまま、漫画は賢治の死を持って幕となります。
これはどちらにもそれぞれいい所、悪いところがあると僕は思います。
例えば、集英社版は漫画として楽しく読めますが、アインシュタインと賢治が出会っているとか(ちゃんとフィクションですと断ってはいますが)、風の又三郎がトリックスター役を務めているなど、史実にはない部分を多く取り入れており、普通の漫画としては面白いが、伝記漫画としては甚だ疑問な出来と言わざるをえないでしょう。
一方、小学館版は非常に淡白な絵柄と平坦な物語運びから感情移入しづらいが、その分病で寝たきりの妹・トシにアイスクリームを買ってきてやるとか、農学校の教師時代のユニークな授業内容など、人間・宮沢賢治らしいエピソードを盛り込むことができています。
そのため、好みや評価は人それぞれにわかれるでしょう。
集英社版は学習漫画ではなく、宮沢賢治に想を得た「漫画」として読むべきものであり、小学館版は「伝記漫画」として読むべきものなのかも知れません。

ここでちょっと面白かったのが、賢治の父・政次郎の扱われ方です。
政次郎と賢治は不仲で、賢治の生き方や思想、信仰をめぐってしばしば対立していたことは有名です。
集英社版ではそれを受けてか、終始賢治を叱咤するカミナリオヤジ的に描かれていますが、小学館版では賢治と対立し、彼を怒鳴り飛ばしながらも、子供の健康を気遣い病気になれば寝ずに看病し、やりたいことがあれば黙って金を出してやるという、子煩悩な父親として描かれています。
賢治は一生父親の庇護のもとに生活した人でしたから(何度も脱却しようとあがきますが、その度に体を壊したりして挫折している)、どちらかと言えば史実の政次郎は小学館版の方に近かった気がします。

小学館版で面白いなと思ったのは、表紙の裏に「宮沢賢治史跡マップ」が設けられていたり、巻末に賢治とほぼ同世代の童話作家たちや、賢治の童話の紹介が短く乗せられているところです。
これは中々勉強になりました。

そんな訳で、漫画として見た場合、軍配は明らかに集英社版に上がると思われますが、普通に伝記漫画とした場合、宮沢賢治という一種の天才の短い一生と、その独特の思想に思いを馳せるには優れた内容の漫画です。。
賢治をよく知らない、これから知りたいという方や子供などの入門書代わりにもちょうどいいと思います。
もしお気が向かれたなら、是非手にとって読んでみて下さい。

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2012-10-08 23:41 | カテゴリ:宮沢賢治
昨年でしたか、本屋で見かけて手にとった本があります。
「集英社版・学習漫画 世界の伝記NEXT 宮沢賢治」



タイトルでお分かりになることと思いますが、集英社発行の学習漫画…いわゆる伝記漫画ですね。
わが岩手が生んだ偉大なるファンタジー作家にして詩人、僕も常々尊敬申し上げている大偉人・宮沢賢治の一生を描いた漫画です。

これまでにも賢治の一生を描いた伝記的な漫画はいくつか発行されていますが、僕が本屋で目を惹かれた理由は、この本の絵柄が、これまでの伝記漫画にはない程の、見事な「マンガタッチ」になっていたためです。
マンガタッチというか、カワイイ系の印象の絵柄で、アニメタッチというのかな?
伝記漫画ってある意味難しいと思うんですよ。
主人公たちを実在の人物に似せないといけませんからね、特に近代の写真が残っているような人物に対しては。
しかし、この漫画は最初から開き直って、あくまで若い人や少年少女、子供たちが違和感なく溶け込めるような、なんとも可愛らしく親しみやすい、柔らかい絵柄で描かれています。
作画担当は柊ゆたかという方ですが、柔らかなペンタッチ、効果やふんわりしていて、明るい色使いがとても素敵です。
少女漫画っぽいと言ったらいいのでしょうか?
キャラクターはちょっと「萌え系」かな?
賢治の妹のトシがすごい美少女になってましたw 
何度見ても思わず「萌え~」と呟いてしまいますwww

toshi.jpg
彼女が噂の「萌え系」トシさんだ!
本物の顔を見たい人はぐぐってみようw(多分がっかりしますw)
あと風の又三郎やジョバンニ、カンパネルラは腐女子の皆様方悶死必至のショタキャラになってますよ!w
こっちも注目だぜ!

お話の方は、賢治の一生をなぞりつつも、かなり脚色してあり、賢治が風の又三郎と会話したり、アインシュタイン博士と出会ったり、あくまで漫画としての「ファンタジー」を重視した内容です。
学習漫画と言うよりも、賢治を主人公とした普通の漫画として読むことができます。 まあ、学習漫画としてはちょっとアレかなと思いますが(^^;)。
そしてここが「漫画」として非常に重要なんですが、それがちゃんと面白く仕上がっています。
話の随所に賢治が作った童話のダイジェストが散りばめられているのもいいです。
ただ、賢治は現代人から見ても結構な「変人」だったので、「偉人」では無く一人の「人間」であることを強調するために、そのあたりをもっと描いて欲しかったですねw
宮沢賢治にもへんてこな部分があったんだなあ、と思うと面白いし、何よりも親しみが湧くじゃないですか。

しかし、賢治の伝奇を読んでいつも思うのは、賢治は生まれるのが早すぎた人だったのではないかということです。
賢治の一生は挫折と不幸の連続で、不遇の人生でした。
彼の作品の中で生前に評価されたのはごく一部ですし、しかも批評家から激賞されたところで全く売れなかった。
「おれが作ったものは野菜でも本でも、なんにも売れないなあ」
と賢治も自嘲気味に語っていたそうですが、これは時代の感覚が賢治の感性に追いついてこれなかったということでしょう。
「遠野物語」の話者である佐々木喜善(この人も不遇の人でした)ですら、賢治から寄せられたザシキワラシ報告書に対して
「宮沢氏の報告はあくまで小説・ファンタジイであって、私が求めていた報告ではないのです」
と書き記しています。
今の時代、もしくは戦後に賢治が生まれていたら、おそらく彼は日本ファンタジー文学界の旗頭になっていたに違いありません。
しかし、この賢治の不遇の一生が、現代に生きる僕等賢治ファンを惹きつけているのもまた事実なのですよね。

この漫画、僕は相当面白く読めました。
特にラスト、賢治が又三郎と一緒に銀河鉄道に乗って旅をするところで終わるのですが、なかなか上手いオチに結んであり、深い余韻があります。
涙なくしては読めません。
みなさんも一度お目を通されてみるのはいかがでしょうか。
学習漫画ということを忘れて楽しめると思いますよ。


2012-04-06 23:11 | カテゴリ:宮沢賢治
昨日の日記が、どうしてトップで表示されないのか不思議で仕方ない。
「続きを読む」ではちゃんと表示されるんだけどなぁ…。
挿入したイラストのファイルが大きすぎたんだんだろうか。
もしかして僕のPCだけなのかな。
謎は深まる…!

ところで今日はちょっと文句を書きます。
文句といっても根拠のない誹謗中傷ではないので、その点はご安心下さい。

僕は宮沢賢治の作品がとても好きなんです。
同じ県の出身だから、郷土の先人だからという親近感もありますが、しかしそれ以上に、この方の感性というか、この方の作品が持っている「無常感」「優しさ」「儚さ」「切なさ」「宇宙観」というものが、とても自分の感性に響くのです。
宮沢賢治という人は一種の中二病的な理想に燃え、そしてそれに挫折して死んでいったという、当時もそして多分現代においても結構な「変人」であり「負け組」です。
しかし、それだからこそすべての人々、あるいは人間に対してのみならす生き物や植物や鉱物や宇宙に対してまでもの「広大無辺の愛、優しさ」のまなざしを向けることが出来たのだろうと思います。
いろいろな意味で、この方は本当に凄い人です。
この方の小説、あるいは詩を読んで、何度も心が震えました。
そして涙を流しました。
大好きです、ケンジ先生。

kenjikinenkan.jpg 
花巻市の胡四王山にある「宮沢賢治記念館」。
昨年の震災直後、4月11日に行った際の写真です。
周りはバッケ(ふきのとう)でいっぱいでした。

yamanekoken.jpg 
賢治記念館の隣にあるレストラン「山猫軒」。
「注文の多い料理店」がモデルですね。
こざっぱりして良い外観です。
ランチが美味しいらしいですよ。入ったことないけど(爆)。


そのケンジ先生の代表作の一つである「グスコーブドリの伝記」が今夏、公開されます。

グスコーブドリの伝記 公式HP
(最初に予告編が流れて音楽が鳴ります、ご注意あれ)

これを今日夕方のローカルニュースで知ったので、喜び勇んでサイトを見てみたのですが…。
うわ!
ますむらひろしのネコ映画だ(^^;)。

ますむらひろしは以前も「銀河鉄道の夜」をネコのキャラクターに置き換えてアニメ化しましたが(そのあとで宮沢賢治の生涯をネコに置き換えて映像化したアニメも作りました)、僕はこういうの、やめて欲しいと思うのですよ。
賢治が最初からネコのキャラでお話を書いていたかのような誤解を与えるからです。
確かに人間を猫に置き換えたほうが、残酷さや悲惨さは薄れるかも知れませんが(銀河鉄道もブドリも、結構悲惨な話なので。でもそこがまたいいのですがね)、イーハトーブの住人はネコじゃないので、こういう擬人化的な演出はやめて欲しいです。
キャラクターが人間だからこそ伝わること、表現できることもあるはずです。
それにネコは賢治の作品において、ちゃんとした「ネコ」のキャラクターとして登場することも多いですからね。こういうのは賢治の童話からではなく、アニメから入る人たち、特に子供たちに無用の誤解や混乱を与えるだけです。
ますむらファンの方には申し訳ないですが、賢治はブドリらをちゃんと人間として描いているのですから、それを描くのだとしたら、キチンと人間として描いて、色々な機微を出して欲しいなぁ。
「アタゴオル玉手箱」のノリで賢治作品を作られても、困ります(個人的には)。

賢治の作品を映像化するというのは非常に結構な話ですけれど、過度のアレンジはやらないで欲しい。
そういうことをするのなら、映像化しないほうがまし、とまで思います。
映像化作品では、プラネタリウム映画の「銀河鉄道の夜」(ナレーションは岩手県金ケ崎町出身の声優・桑島法子)や、高畑勲監督のアニメ絵映画「セロ弾きのゴーシュ」が非常に面白かったです。
高畑監督は賢治ファンだそうですが、「ポラーノの広場」あたりをアニメ化してくれないかしら。



因みに僕が賢治作品で一番好きなのは「雪渡り」です(^^)。