2013-01-28 21:00 | カテゴリ:創作小説
 真夜中、武志はこっそりと部屋を抜けだすと、納屋に行って灯油の入った瓶と新聞紙の束、それにマッチを持って復員兵の家に向かった。戦争が終わってもう随分になるが、このあたりにはまだ街灯が設置されていない。夜中ともなるとあたりは墨で塗りつぶしたような闇の中に沈み込む。そんな中を出歩く人間などいるはずもなく、武志は誰にも姿を見られずに復員兵の家までたどり着くことが出来た。足音を殺して家の裏手に回り、こっそり様子を窺ってみたが、家の中は物音一つしなかった。どうやらよく寝入っているようだ。武志はほくそ笑んだ。そのまま台所と思しき場所の外壁に新聞紙を積み上げて灯油を振りまき、マッチを擦った。
 黄燐の燃える臭いが武志の鼻を突くと同時に闇の中に赤い火花がぱっと散って、油を吸った新聞紙が勢い良く燃え始めた。それを見届けると武志は急いでその場を離れた。
 大分離れた場所に来てから振り返ってみると、遠くの山影を背にした復員兵の家が、暗闇の中に赤々と浮かび上がっていた。武志はくすくす笑った。あの様子じゃ丸焼けだな。クソオヤジめ、きっと今頃焼け出されて途方に暮れていることだろう。ざまあみやがれ。武志は清々しい気分で家に戻ると布団に潜り込み、ぐっすり眠った。
 翌日、武志が仲間たちと町へ出てみると、町中が大騒ぎになっていた。あの復員兵の家が全焼したからだ。仲間の一人が聞いてきた話によれば、あの男は逃げ遅れて焼け死んだという。ぐっすり眠り込んでいたので、気がついた時にはもう逃げ場がなかったらしい。あのオヤジ、くたばったのか。武志はちょっと意外に思ったが、だからといって別に後悔も憐憫も感じなかった。むしろ彼は自分たちの無法を咎め立てするものがいなくなったことに例えようのない喜びと開放感を感じ、腹の底から沸き上がってくる黒い笑いをこらえることができなかった。おれの町でおれに逆らえばこうなんるんだ。ざまあみろ。
 その夜、彼と仲間たちは馴染みの飲み屋で祝杯を上げた。

 それから2、3日した真夜中のことだった。自室でぐっすり眠り込んでいた武志はふと喉の渇きを覚え、目を覚ました。いま何時なんだろう。台所へ行って水を飲もうと、布団から這い出しかけた彼の動きが止まった。電気が消え、暗闇に包まれた部屋の中に何かの気配を感じたからだった。はじめは気のせいかとも思ったが、そうではなかった。明らかに武志以外の何者かがこの部屋の中にいる。そしてじっとこちらを窺っている、その気配をありありと感じた。
 ぎょっとして布団の上に半身を起こした武志の前で突然、何かがぎらりと光った。それは猫の目だった。一体どこから入り込んだのだろう、窓も扉も閉めきってあるというのに。武志は不思議に思いながらその姿を見極めようと暗闇に目を凝らしたが、次の瞬間あっと声を上げた。その猫は紛れもなく、あの三毛猫だった。焼け死んだ復員兵が飼っていた、あの痩せた雌猫なのだ。
 武志を突然激しい恐怖が襲った。たかが猫になぜ自分がここまでの恐怖を感じるのか不思議だったが、そう思ったところで恐怖のあぎとは彼をがっちりとくわえ込んだまま離そうとはしなかった。武志は混乱し、むちゃくちゃに手足を動かしてその場から逃げ出そうとしたが、まるで金縛りにでもあったように身体が動かなかった。声も出ない。大声で家族を呼ぼうとしても、喉からはかすれた、塩辛い空気が出てくるばかりでまともな声にならなかった。心臓が早鐘のように鳴り、全身に冷たい汗が噴き出してきた。
 三毛猫はそんな武志の姿をしばらくの間じっと見つめていたが、不意にその体に信じられないことが起こった。床に尻をついて座る三毛猫の輪郭が突然膨張し、いびつな形に歪みだし、明らかに猫とは異なるものの姿に形を変え始めたのだ。信じられない光景に武志の濁った目が皿のように剥き出された。身体が瘧(おこり)にでもかかったかのように激しく震え、呼吸することすらままならなかった。そんな武志を冷ややかな瞳で見つめながら、猫は不気味な変身を続けていった。
 ややあって、そこに姿を表したのは一人の女だった。それも若い、まだ少女といってもいい年頃の小柄な女だ。黒髪を首の後でおかっぱに切りそろえ、一糸まとわぬ素っ裸だった。身体は痩せぎすで、暗闇に白い肌がおぼろに浮かび上がっている。みぞおちから横腹、股間にかけて痛々しいアザと、目を覆いたくなるような酷い火傷が交差していた。あどけなさの濃い顔立ちは目が大きく鼻が小さく、猫によく似ていた。武志を凝視する2つの金色の瞳に、怒りと憎しみの炎が激しく燃え上がっていた。
 武志は笑っているのか泣いているのか自分でもよくわからない表情をしながら、声にならない声で何度も悲鳴を上げた。娘は足音もなくゆっくりとこちらへ近づいて来る。その右手に鈍い銀色に光る何かが握られていた。抜き身の短刀だということがすぐに解った。海軍士官が持っているあの短剣だった。それを見た武志を脳貧血で意識が霞むほどの強い恐怖が襲った。その短剣の持ち主・焼け死んだ復員兵の「警告」をありありと思い出したからだ。

「もし今度やってみろ、その時はその喉くびをこの短剣で掻き切ってくれるぞ!」

 武志はその場から逃げ出そうとして必死でもがいた。しかしどうあがいても彼の身体は動かなかった。虚しい努力を続けるうちに、化猫は彼のすぐ目の前まで迫ってきていた。彼女の顔はこれから主人の復讐を果たすのだという残酷で昏(くら)い、しかし荘厳で神聖な喜びに満ちていた。
 女が大きな鉤爪の生えた左手を伸ばし、武志の顔を正面から鷲掴みにした。まるで万力のような力で締めあげてくる。たちまち鋭い鉤爪が顔面に深く食い込み、真っ赤な血が流れ出した。 激しい痛みに武志が喘ぎ頭を大きくのけぞらせた時、化猫が素早く右手を一閃させた。
 ひんやりした感覚と鋭い痛みが喉に走ったあと、武志の首が破れ提灯のようにぱっくり口を空け、奇妙な角度で後ろに倒れこんだ。外気が喉の内側に流れ込み、代わりに熱くどろどろした液体がバケツを倒したような勢いで溢れだす。器官から呼気が漏れ、しゅうしゅうと音を立てているのが聞こえた。武志は叫ぼうとしたが、その声は口からあふれる金気臭い液体によってゴボゴボという嫌な音に変わっただけだった。武志は灼熱の苦痛のうちに自分の命がいま、消えることを悟った。

 翌朝、武志が起きてこないことを不審に思った家族が、布団の中で喉を真一文字に切り裂かれて死んでいる武志を発見した。部屋は一面の血の海で、床にはたくさんの猫の毛と足跡が残されていた。しかしそこに遺留物の主たる猫の姿はなく、無論短刀などどこにも見当たらないのだった。

(了)
 
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2013-01-27 23:43 | カテゴリ:創作小説
今日は取り立てて書くこともないので(^^;)、え~、某所で概出のためご存じの方には甚だ恐縮なのですが、まあこのブログにおけるある種の試みという意味でも、短い創作小説を今回と次回の2回にわたって掲載することにします。
ジャンルは怪奇小説?です。





怪奇万華鏡・1 「チンピラと猫」
作 新田佳奈

 武志(たけし)は手の付けられない不良だった。
 仲間と徒党を組んで街角にたむろし、誰彼かまわず因縁をつけては集団で暴力を振るった。未成年であるのに飲酒、喫煙は当たり前で、万引きも、かっぱらいもしたし、若い女を手篭めにもした。弱い者いじめも大好きで、意味もなく犬猫を傷つけたり、むしゃくしゃした時には子供や老人をいたぶって鬱憤晴らしをした。彼はいわゆるチンピラで、町の鼻つまみ者なのだ。
 町の者たちは当然のように彼を憎み、軽蔑し、嫌悪していたが、誰一人として武志に面と向かって文句を言ったり、暴行を静止したりするものはいなかった。なぜなら、武志の父親がこの町一番の金持ちで有力者だったからだ。
 武志の父は日本に帰化した外国人で、戦後すぐに闇市で一財産築いた人間だった。昨年から始まった朝鮮戦争による特需景気も彼の財産を倍増させる結果となった。その富の力は決して小さいものではなく、警察官ですら彼ら親子には気を使ったし、武志の悪事にも見て見ぬふりをした。そしてもっとも悪いことに、父親は武志を溺愛していた。武志が何をしでかそうが、全て金で尻拭いをした。そんな環境が武志をますます尊大にさせ、増長させていった。彼は思い上がり、この町は自分たちのものなのだと履き違えるほどになっていた。
 しかし武志にも苦手とする人間がたった一人だけいた。それは町外れの古い一軒家に住む復員兵だった。この復員兵は背が高く肩幅の広い、がっしりした体格の四十男で、旧海軍の元将校という噂だった。普段は自宅でたった一人静かな生活を送っていたが、元軍人だけに腕っ節は滅法強く、加えて理非善悪をわきまえ誰にでも意見をする一徹者としても知られていた。武志の父の威光など全く恐れぬ彼は、武志たちを度々怒鳴りつけ、説教をし、時には殴ったりもした。武志たちは度々この男をやり込めようとしたが、全て無駄だった。戦争で修羅場を経験してきた男の喧嘩の強さは、武志たち甘やかされたチンピラが何人束になろうと敵うものではなかったのだ。男は次第に町の人々から頼りにされ慕われるようになり、逆に武志はこの男に対して憎悪に近い感情を抱くようになった。この復員兵が町の人々と挨拶をし、談笑している姿を街角で見かけるだけで、武志はコソコソと逃げ出しながらも、激しい胸のむかつきに襲われるのだった

 ある日、武志が一人でこの復員兵の家の前を通りかかると、塀の前に一匹の猫が寝そべっているのが目に入った。それは雌の痩せた三毛猫で、復員兵の飼い猫だった。復員兵がこの猫を両手に抱いて、夕暮れの町をそぞろ歩いている姿を何度か見たことがある。猫はまるで若い娘が恋人の手に抱かれるような甘美な表情で、男の大きな腕の間に身を丸くして収まっていた。それを思い出した途端、武志の胸に言いようのない怒りが湧き上がった。武志は大儀そうな顔で横になる三毛猫に素早く近づくと、その身体を革靴の爪先で思い切り蹴りあげた。
 突然の襲撃に雌猫は凄まじい声で悲鳴を上げた。武志は容赦なく猫をもう一度蹴飛ばした。猫の体は大きく宙を舞って地面にもんどり打って落ち、彼女は哀れな声で鳴きながら苦しげに身悶えした。
 ざまあみやがれ。武志がニンマリとした時、後ろに人の気配がした。慌てて振り返った途端、顔に凄まじい衝撃を感じ、目から火花が飛んだ。いつの間にか家から出てきた復員兵が、武志の頬を思い切り殴ったのだった。大きく後ろにのけぞった武志の鼻から大量の鼻血が飛んだが、男はは容赦しなかった。武志が地面に倒れ込むまで、何度も鉄拳を振るった。

「この大馬鹿者!口も利けぬ畜生をいたぶるとは、性根の腐った奴!貴様、恥を知れ!」

 息も絶え絶えの武志を大喝し、男は武志のシャツの胸ぐらを掴んで引き立たせた。腫れ上がった瞼をようやく持ち上げた武志の目に、男が右手に握った物騒なものが飛び込んできた。それは旧海軍の士官が持っていた短刀だった。陽光に青い光を放つその抜き身の刃は、冴え冴えとして鋭利そのものに見えた。
 思わず武志は引きつった悲鳴を上げ、男の手から逃れようともがいた。このまま殺されるのではないかと思い、生まれて初めて骨の髄からの恐怖を感じた。男は恐怖と怯えに歪んだ武志の顔を見て、彼を後ろへ突き放した。力なく地面に尻餅をつく武志を冷ややかな目で見下ろし、男はゆっくりと短剣を和服の懐中にしまいこんだ。

「今日はこんなところで勘弁してやる。これに懲りて、もう二度とするな。もし今度やってみろ、その時はその喉くびをこの短剣で掻き切ってくれるぞ!」

 それから男はよろよろと立ち上がった雌猫を優しく抱き上げ、下駄を鳴らして家の中に消えていった。目前の恐怖が去った途端、代わりに憤怒、憎悪、そして屈辱の大波が武志を襲った。彼は怒りのあまり激しい目眩と震えを身体に感じながら、男の背中に憤怒に燃え上がる視線を注いだ。
 今日という今日はもう我慢できねえ。このクソオヤジ、どうするか見てろ。

(第二回につづく)