2014-09-23 23:58 | カテゴリ:ファンタジー
Twitterで、我が盟友T氏と話していた際に、東京の「船の科学館」に以前展示されていた旧日本海軍の「二式飛行艇」通称・二式大艇の話が出ました。

この二式大艇は飛行機と船のあいのこ(そういえば最近あいのこ、って言わなくなりましたよね)みたいなもので、全長約28メートル、翼長38メートル、重さ約34トンにも及ぶ巨大なものでした。
外見はまさしく「空飛ぶ船」。
中学生の時、修学旅行の行き先が東京だったのですが、その際船の科学館で見た二式大艇の巨大な姿がいまだに忘れられません。
なんか1/72のプラモデルも購入した記憶があるのですが、あのプラモデルはさすがに大きかったですよ。
上手に作り上げる自信がとてもなくて、結局作らないままになってしまったのですけども…。

まあ二式大艇について詳しくはググって頂ければすぐにヒットすると思いますが、航続距離が8千キロ以上という素晴らしく長い距離を飛ぶことが可能であったため内部は居住性も高く、簡易ベッドやトイレなども設けてあったそうです。
それをウィキペディアで読んで発作的な連想をしたのですが、この飛行艇を使ってなにかお話が作れないものだろうかなと思ったのです。

二式大艇みたいな馬鹿でかい飛行艇に主人公たちが乗り込んで、それを移動基地としつつ、異世界とか荒廃した地球を冒険する…みたいな感じの冒険もので。

目的は何でしょうね、生存者を探すとか、どこかに安穏と生活できる新天地を探しているとか…ですかね。
主人公、パイロット、白兵戦要員、航海士、整備士とか10人位が軍団を組んで旅をします。
彼らが敵性亜人種(人喰いミュータントとか)と戦ったり、食料とか燃料を探しに上陸した謎の島を探検したり、海賊と戦ったり、襲ってくる巨大怪鳥と空中戦したりするんですよ。
なんか面白そうじゃないですか?

T氏には「ジブリ臭が凄えwww」とか言われたんですけどw

…やめとくかw



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2014-09-20 12:28 | カテゴリ:ファンタジー
大昔。フェンシングは二刀流でした。
右手に「レイピア(ラピエレ)」と言われる細身の刃を持つ剣、左手に「マン・ゴーシュ(マインゴーシュ)」という小型の盾に刃をつけたような短剣を持って戦ったのです。
右手は攻撃に、左手は防御に使ったわけですね。
この技術は主にイタリアなどで発達したと言われ、その頃は紳士(?)が身を守るために使う純然たる闘争術でした。
これがフランスへ輸入されるとさらに技術が洗練されていき、二刀流は廃れ、フェンシングはスモールソード、エペなどといったレイピアよりもさらに軽量小型の剣で行われるものへと変化していきます。
その技術が時代を下るごとにさらに磨き上げられて、ついにはスポーツ…現代フェンシングへと進化するわけですね。
ですからオリンピックのフェンシング競技で二刀流なんて競技は存在しません。
古いフェンシングの形を残した二刀流フェンシングは、日本で言えば古武道…古流剣術のような存在なわけです。

しかし、その古流のフェンシングを今に伝えて、協議会など開いて技を磨いている人たちも多く存在するようです。
そんな二刀流フェンシングを行っている実に興味深い動画を見つけたのでご紹介します。


通常のフェンシングと比較して、構えが極端な半身ではありません。
そしてマインゴーシュを構える位置が、右手のフルーレとほぼ平行というのが興味深い。
そして左手のマインゴーシュによる反撃が怖いので、大きく踏み込んで攻撃しづらいようですね。



これは、コーチと選手のポイントレッスン風景のようです。
踏み込みよりも、手元というか鍔元での抑えこみなどを重視しているような攻防が実に面白い。


これは厳密に言えばフェンシングではないようですが、この動きや武器の使い方は二刀流フェンシングの源流に近いものではないかという気がします。
左手の短剣の構えがフェンシングとは違い、顔面を防御する高さと位置に構えられているあたりが興味深いですね。
より実戦性を感じます。

実に創作イメージを刺激される動画です(^^)。

2014-06-08 23:28 | カテゴリ:ファンタジー
なんかファンタジー小説というものについてすごく書きたいことがあるんですが、これを詳しく書いてしまうと、内容がどうしても他人の批判になってしまいます。
このブログでは、なるべく毒にも薬にもならない、読んでくださる方が気楽に楽しんでいただけるような内容を書きたいと常々考えて運営しています。
なのでここはグッとこらえて我慢したいと思います。

ただ一言言わせていただければ、人それぞれによってファンタジーの形は違うということです。
なので、人によって様々なファンタジー小説があってもいいと思うのですよ。

別に、鉄砲であるとか、巨大ロボット、ネコミミギャルが出てきても構わないですし(無論、それに対する好き嫌いはあってしかるべきですが)、逆に魔法や神様、剣が出てこないようなファンタジーがあっても良いと思います。
大体、ファンタジーというものは「幻想小説」であり、これだという形は決まっていません。
その自由度を失い、様々な理屈や現実世界に基づくリアリズム、進化論みたいなものの「枠」にファンタジー小説のイマジネーションを当てはめてしまっては、幻想世界はとたんに色あせ、つまらないものに変わってしまうと思います。

いえ、当然そういった現実の法則に則したファンタジーを作るというのもひとつの形ではありますから、まあ結局のところは作者本人の好きなようにやればよろしいと思うのですが、それにしてももっと自由で気楽に、理屈のない発想で作品を作ってもいいような気がします。

2013-06-18 19:37 | カテゴリ:ファンタジー
現在、海外のファンタジー小説「処女戦士ジレル 暗黒神のくちづけ」を読んでいます。

これはH・P・ラヴクラフト御大などと同世代の作家C・L・ムーアが書いた、ファンタジー小説としては英雄コナン等とともに「古典」といわれるようなタイプの作品です。
作者のムーアは女性で、この小説の他にも「ノースウェスト・スミス」シリーズという古典SFも書いています。
ノースウェスト・スミスのシリーズは「シャンブロウ」などが非常に有名なので、もしかしたらSF好きなみなさんの中にも読まれた方がいらっしゃるかもしれません。

さてこの「ジレル」なのですが、当時(1930年代)にしては大変珍しく、「ジョイリーのジレル」という女性キャラクターが主人公に据えられています。
まだ女性の社会進出が珍しかった時代に女性キャラをメインにするというのは、結構勇気がいることだったと思います(ポルノ小説などはその限りではないでしょうが)。
作者が女性なので、同じ性別のキャラクターのほうが書きやすかったということもあるのかもしれません。
僕が購入したハヤカワの文庫版には、このジレルを主人公にする5本の短編が収録されています。
今は冒頭に置かれた表題作「暗黒神のくちづけ」を読み終えたところです。
「暗黒神のくちづけ」は、だいたい以下の様なお話です。

ジレルは男のように背が高く、燃えるような赤毛とライオンのような金色の瞳を持つ「攻撃的な」容貌の美女で、ジョイリーというフランス語圏の小国家の領主です。
そのジョイリーが敵国に戦争で滅ぼされ、ジレルは捕虜となってしまいます。
征服軍の司令官である騎士ギョームは、ジレルの美貌に心惹かれ、戯れから彼女に接吻を強要します。
もちろんジレルはそれを拒否して抵抗し、結果としてギョームの強要は未遂に終わりますが、領主の自分に無作法な要求を突きつけた彼に激しい憎悪を抱いたジレルは、その屈辱を晴らすため、ギョームに復讐する「武器」を求めて、城の地下室に隠された禁断の扉をくぐり、未知の世界へと旅立ちます。

最初は、このジレルが「コナン」のように活躍するヒロイック・ファンタジー系の話かと思って読んでいたのですが、実際には全く違うものでした。
単純明快でいかにも男性ウケするコナンとは全く異なり、ジレルはもっと繊細で「女性らしい」キャラクターでした。
これは先にも上げたように、作者のムーアが女性というところから来ているのでしょうが、不気味な異世界を旅するジレルの冒険は非常に静的で、他のファンタジーに見られるような活劇調のものではあリません。何しろ、剣を振るって敵と戦う場面すら(既読の短編内では)殆ど無いのです。
お話の中で「男と変わりない力を持ち、武芸の腕も立つ」と語られていますが、それを表現する場面はありません。

ジレルのキャラクターそのものにも異世界を探検していくうちに変化が生まれてきます。
この辺りは同じヒロイック・ファンタジーながら、徹頭徹尾利己主義に突き動かされ、あくまでも猛々しいコナンとは好対照をなしているといってもいいと思います。
最初はギョームへの憎悪と雪辱ばかりに突き動かされていたジレルの心が、物語が進むにつれて、未知の世界に対する不安や困惑、恐怖、心細さなどで徐々に変化していき、再び地上へ戻った際にはジレルは重い業を背負ってしまったかのようにやつれ、彼女の中の何かが明らかに変わっています。
そしてギョームへの復讐を果たした瞬間、彼女は自分が払った代償の大きさに崩折れ、涙するのでした。
以上のように、ジレルのキャラクターはとても情念的で、その内面にはいろいろな部分で女性が持つ強さ、猛々しさ、あるいは弱さ、優しさ、儚さなどの複雑な感情が表現されていると思います。。
この辺りがとても面白い。

ジレルが旅する異世界「地獄」の情景もまた独特のものがあって興味をそそられます。
僕は日本人かつ仏教徒なので、地獄と聞けばおなじみの仏教的な地獄絵というか、閻魔大王がいて鬼が亡者を責め殺す…みたいな描写とか、ファンタジックな感じで言えば、悪魔たちが住んでいる業火に包まれた暗黒の世界といったものを想像してしまうのですが、ジレルが放浪する地獄は、そういったものとは全く趣を異にするもので、大変物静かな、しかし不条理で不愉快極まりないイメージの世界です。
この辺りにはジレル自身も作中で戸惑っていましたが、ムーア女史はよくこんなの考えつきましたな…と何やら感心してしまいます。
創作を趣味にするものとしては、学ぶところは多そうです。

このハヤカワ文庫版には松本零士による挿絵が入れられています。
物語の中で表現されている力強い容貌のジレルと、松本零士が描く線が細くて儚げなイメージのジレルとはあまりにもギャップがありすぎて最初は戸惑ってしまいましたが、物語を最後まで読んでみると、ジレルの心境の変化などもあって、何やら「ハマリ」の絵のような気がしてくるので不思議です。
ただ、本文内では「ジレルは赤毛」「髪が短い」と書かれているのに、金髪のロングヘアーで表現するのはどうかと思いましたがw

いずれにしろ、ファンタジーに興味をお持ちの方なら、読んでおいて絶対に損はしない作品だと思います。
今では本屋で見かけることすら珍しくなってしまった本ですが、ハヤカワには絶対に再販して欲しいと思う作品です。
みなさんも古本屋などで目に入ったら、多少値段が高くても速攻でゲットしておいたほうがいいと思います。

2013-04-11 23:22 | カテゴリ:ファンタジー
まず最初にお断りしておきますが、例によって長いですw
あまり面白いお話でもありませんので、読み飛ばしていただいて結構です。


某所のブラウザゲームで「ロードス島戦記」が登場とか、本日知りました。
今ならβ版につきキャンペーンもやってるようです。
内容は、まあぶっちゃけ目新しものではなく、この手のゲームにありがちなカードゲーム形式のRPGのようですね、無料と言いつつも課金前提みたいな。
おそらく、課金するとすごく強いキャラのカードとかもらえるんでしょうね(無料だとそこそこ強いのしかもらえない、しかもそれすら低確率というのは世の常w)。

僕が中学校の頃だったでしょうか?この偉大な(?)作品が世に出たのは。
当時コンプティークというオタク雑誌のハシリみたいなパソコン雑誌がありました。
多分僕と世代が近い方々の中では、ははあ、あの本だナ…とピンとくる方も多いであろうと思われますが、とにかくその雑誌で「ファンタジーTRPG」という今も燦然と光り輝く魅力を放つ(あくまでも僕の中では、という前提付きなんですが)「大人版ごっこ遊び」の魅力を知りました。
それを教えてくれたのは同誌連載のD&Dリプレイ「ロードス島戦記」だったのですよね。

それが爆発的に人気が出てきて、ラノベというものになり(尤も、ライトノベルなるジャンル分けは当時まだなかったような気がしますけれど)、TRPGのオリジナル・ルールになり、テレビゲームになり、アニメになり…とどんどんメディア・ミックス化されていき、それから約30年余りが過ぎ去った今では、日本のファンタジー界が誇る金字塔へと成長を遂げました。

ここだけの話、今読むとあんまり面白くないんですけどね(^^;)。
あの頃の水野先生の文は、大変失礼ながらあまり上手じゃないし…いや、今もかな?w
それがどうしてここまで受けたのかといえば、少年向けのカルチャー誌に連載されていたということもありますが、その頃の日本は今ほど「中世ヨーロッパ系ファンタジー」が一般に認知されていなかったという背景が原因しているでしょう。
もちろん昔から古典中の古典である「指輪物語」「ナルニア国」「コナン」などの海外作品小説ファンの間に知られている所ではありましたが、そういった海外作品は設定や物語が非常に深くて、何度も再読するうちににじみ出てくる味がある反面、何分にも文体が硬くて(これには翻訳者の方の感性も影響している)とっつきにくい上、文章を読んでもビジュアル的なイメージがイマイチ想像しづらいという欠点があって、読み始めるのに二の足を踏む人も多かった。
ですがロードスは、海外のファンタジーを研究している人達の集団「グループSNE」が作り上げたものであるから、海外のファンタジーが持つ面白さを日本人が理解しやすいように日本風アレンジを加えて作っているから、物語も文章もわかり易かったし、加えて何しろカルチャー系雑誌の連載作品だった経緯もあるから小説に挿絵がふんだんに付けられていたので、ファンタジーに憧れを抱いていた当時の僕らのような若い世代に受け入れられたのだと思います。
だから未だに「エルフ」に魅せられる人が多いわけですな(ディードリットというキャラクターはそれほど完成されていたのではないかと思うんです。ビジュアル的にだけどね)。

閑話休題、ロードスが一大作品になってゆくそんな過程を、自らが無駄に歳を取る過程で逐一見続けてきたものとしては、ロードスが手軽にパソコン上で遊べるブラウザゲームで登場とか、何やら感慨無量な心持ちを覚えずにはいられない…ような気もしないでもありませんw

そんな、ロードスの古いファンである僕ですから、このブラウザゲームがどんなものだかちょっと気になったわけです。
それでどんなものなのかねえ、面白そうだったらちょっと遊んでみようかしら…と覗いてみたのですが、トップ絵ページのイラストを目にした途端、何やらがっかりしちゃったのです。
ゲームの内容はともかくも、絵が「コレじゃない」感じがしてならないのです。
申し述べておきますが、その絵が下手だとか言うんではないんです。
線も、色使いも綺麗です。動きにケレン味がないかしら、とは若干思わないでもないですが、それでもさすがに上手です。いや、もっと上手い人って世の中にいるけども…松竹梅で言ったら間違い無く竹の上でしょうね。
でもね、なんか見てるのが辛いんです。
なぜなのかなあ、と自分でも考えてみたのですが、思うにデザインが昔から変化してない点に最も大きな原因があるような気がします。

当時イラストを担当していた出渕裕さんと結城信輝さん、あの方たちがデザインして描いていたものから、あらかた30年になるわけですが、このゲームに描かれている絵にはその時点から全く進化してる風がみられないような気がするんです。
それでは、あのデザインがそれほど完成されたものなのか、と考えると…うーん、正直言って別にそうでもないと思うんですよねえ。
なんたって根本的なデザインが出渕さんだから…。あの方が描くファンタジーの世界ってみんな似たり寄ったりだし…だからパーンが小道具なんかも含めてまんま「ダンバイン」のショウ・ザマになってるんだよなあ。
まあそれでもそれが当時は受け入れられたわけですけど、その古いデザインが今時の線の細い、淡白な色使いの、キレイ系な…言ってみれば「萌え系」準拠の(これには語弊があるかもしれませんが)絵描きさんの手によって描かれている。
これが違和感の原因のような気がする。

今、この時代に古典的作品であるロードスを引っ張りだしてゲームにするのなら、せめてビジュアルだけでも今時のものにしてみたらいいのではないでしょうか。
カルチャー雑誌の連載作品から一度「小説」(挿絵がやたら多かったとは言えども)という形になった作品なのですから、何も昔のデザインにしがみつく必要はないと思うんですよ。
小説に登場するキャラクターのイメージなんてものは人それぞれなのですから、例えばマッチョ系のシュワルツェネッガーみたいなパーンがいたっていいのだし、ケルト系の衣装に身を包んだ肉感的なディードリットがいたっていいのです。
だから一度今までの古い時代のデザインをリセットするなり大幅なアレンジを聴かせるということを前提にした上で、今のクリエイターの感性を「これでやれ」と縛るんじゃなく、徹底的に自由にやらせればいいじゃないですか。
その辺りを下手くそながら絵を描くものとしては、今回目にしたイラストが何とも痛々しいものにかんじちゃうんです。
キャラの顔とか、今時の絵柄なのに結城信輝が描いた絵と同じなわけですよ(^^;)。きっと描いている人も「似せなきゃ、似せなきゃ」って必死に思っていたんでしょうね。
こう言って分かってもらえるか不安なんですが、自由がないのですね、あの絵には。

何度も言いますけれど、古典的作品を形にするからといって、何も昔のデザインを踏襲する必要はないと思うんです。
昔のデザインを打破して、ファンがあっと驚く新たなロードスを表現したらいいではないですか。
もちろんそこには、主に僕らのような世代の古いファンからの批判や、そんなことをしたらロードスの魅力が失われるだろとか、そういう意見も噴出してくるとは思うのですが、しかしそうやらないと、今ロードスというファンタジーを新しいゲームの形として世の中に出していく意味が無いのではないでしょうか?
それは出来ない、なぜならロードスのネームバリューを利用するからには、あくまでも昔にちなんだデザインを堅守する必要があるのだ!…というのであれば(それはそれで間違ってないような気もするが…)、だったら今の絵柄のクリエイター…多分若い、ギャラの少ない人達を安易に起用するんのではなく、千金を積んでも出渕~結城ラインの古いアニメーターたちに、昔ながらの濃ゆい絵を描いてもらうべきではないでしょうか?

こういうゲームっていうのはまず絵ありきなんですよ。
お話とかは所詮ブラウザのゲームだしカードバトルのゲームなんだからそれほど重要じゃない。
その一番重要な目で見えるという部分に、こだわりやお金を注ぎ込まなくてどうするんですか?

このゲームの対象は、デザインなんかをほとんど変えてないところを見ると、昔のロードスファン(多分僕ら世代)を狙っているんだろうな…とは思うんですが、今の世の中「上手い絵」も、上質のファンタジーも共に氾濫しているような状況の中で、こういうアピールの仕方をユーザーに向けてした所で、これに魅了される人は少ないんじゃなかろうかと僕は思うのです。
ロードス島戦記という、曲がりなりにも一時代を築いた古典的ファンタジーを、世に溢れかえっているファンタジー作品・ゲームの一つとして埋もれさせてしまうことになりはしないでしょうか。
そうさせないためにも、また今の10~20代の若い人たちにロードスの魅力を魅せつけて、彼らの中にロードスの新しいファンを獲得するためにも、今時の若い感性を持って作り上げた新しい「ロードス島戦記」をアッピールしていくべきなんじゃないのかと思えてならないのですが…。

…などと、昔の古臭い絵柄から脱却できないへこたれ絵描きとしては思うのですが(^^;)。