2013-05-31 19:37 | カテゴリ:ちょい旅
今日は朝から大変よい天気でしたので、藤の花を見に行くことを計画しました。
桜の季節はとうに終わりを告げ、現在は青葉が繁る初夏の様相を呈している我が岩手。
そろそろ遠出もいい季節になったかなあ…と考えていた折、Twitterで「一戸町の藤島の藤が見頃を迎えています」というツイートを目にしました。
藤島の藤ってなんだ?と思いぐぐってみますと、どうやら岩手県北の一戸町に存在している観光スポットのようです。
岩手県の観光情報をまとめた「こちら岩手ナチュラル百貨店」を引用しますと、

「町内の小鳥谷にある、枝ぶりも見事なノダフジの巨木。樹齢は数百年といわれ、天然記念物に指定された昭和13年には、根回りが3.3mもあった。かつては隣にあったカツラの枝にからまっていたが、その枝が枯死したため今は鉄骨のヤグラに支えられている。老木のため、以前より主幹は細くなったが、新しく分かれた枝が育ち、花期になるとけむるような紫の花房が垂れ、幻想的なたたずまいを見せる。」

ということだそうです。
あら、こんな所があろうとは知らなんだ。ひとつ行ってみんべえか…ということになりまして、自由業の気楽さ、助手席に老母を乗せて、我が自家用車で出かけて参りました。

出発前に、どうせ遠方に行くのであるから、他に見学できる場所はないものかしらと思って下調べをしてみましたのですが、縄文時代の大規模集落を再現した「御所野縄文公園」などは見つかりましたが、なんと町の歴史(主に中世・近世・近代)を解説する資料館がないのです。
一戸町といえば、中世は南部家の一族・一戸氏が治めた城下町であり、天正年間の九戸の乱では、同じ一戸一族同士が南部信直、九戸政実に分かれて戦ったという歴史を持っており(一戸城と姉帯城という城があったはず)、また近世には奥州街道の宿場として大いに栄えた町なのですが、そんな町の歴史を観光客に紹介する施設がないとは奇っ怪至極!
なんて言うんでしょうか、遺物も少ないのかもしれないし、何よりも町にそれだけの予算がないのかもしれませんが、あたらドラマチックな歴史を持っているだけに大変もったいない気がするのですよ。
独立した建物が無理なら、資料展示室みたいな形で役場の隅っこにでもいいので、そういう施設を作ってもらえると、観光客の誘致にもつながるんじゃないのかと思いますがねえ。

閑話休題、その下調べの際、町の文化財を紹介したページに「朴舘家住宅」というのがあるのを見かけました。
どうも幕末に建造された豪農の家のようですが、曲家で勇名な南部領にありながらも曲がり屋ではないというタイプの住宅のようです。
以下、Wikipediaから引用します。

「朴舘家住宅(ほおのきだてけじゅうたく)は、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷にある歴史的建造物(民家)。

朴舘家の由来については判然としない。主屋は文久2年(1862年)に建てられたとされる、桁行(間口)29.9メートル、梁間(奥行き)16.4メートル、総面積150坪の岩手県内最大規模の茅葺き民家である。南部藩領域内の特徴的な民家曲屋と同じく建物内に住居部分と馬屋部分を併せ持つが、曲屋とは異なり馬屋部分が突出しない長方形平面の直屋(すごや)である。平成2年5月1日に岩手県の有形文化財に指定され、平成23年11月29日、国の重要文化財に指定された。

主屋は寄棟造、茅葺きで東を正面として建つ。下手(北側)をニワ(土間)、上手(南側)を床上部とし、全体の約4割をニワが占める。ニワの一部を壁で仕切ってマヤ(馬屋)とする。床上部は3列に部屋を並べる。ニワに接した列は「ダイドコ」と「ハシリ」、その次の列には「ジョイ」(常居)と「ナンド」と称する部屋がある。「ジョイ」は手前寄りの一部を板敷きとするほか畳敷き、「ダイドコ」「ハシリ」「ナンド」の3室は板敷きである。「ダイドコ」前面には式台を設ける。これらの上手には手前から「シタザシキ」「ナカザシキ」「オクザシキ」と称する3室続きの座敷を設ける。この建物は規模が大きい、幕末の上層農家の主屋の遺例として貴重である。

主屋の西側に建つ土蔵は、墨書から明治16年(1883年)頃の建築とみられる。主屋、土蔵の2棟と土地が重要文化財に指定されている。」

何やら興味が湧いたので、ついでにそこも見てくることにしました。

そういうわけでさあ出発。
午前11:00頃に自宅を出発、一路一戸町を目指します。
県北に位置する一戸町までは、僕が暮らしている盛岡市からだと約1時間半ほどかかります。
時間は若干かかりますものの、道は国道4号線をひたすら真っすぐ走ればたどり着きますので、行き方はかなり楽であります。
昼12:30すぎに目的地付近に到着。
小鳥谷(こずや)という地名の場所なのですが、国道沿いに産直施設兼食堂があったので、そこに入って地図の確認と昼食を済まします。
メニューはざるそばです。なんでも、兼から地産地消レストラン三ッ星を貰ったという食堂なそうでして、そばが名物のようでした。
韃靼そば100%の手打ちで麺は平太なかんじ、そばと言うよりもきしめんの一歩手前くらい。そばつゆはかなりしょっぱいですが、その中にもちゃんとコクがあり、なるほど「醤油を飲む」と揶揄されるほどしょっぱいものが好きな岩手県人好みの味付け。
なかなか美味しゅうございましたが、つゆの他にも小鉢の漬物がやたらしょっぱくて、後で喉が渇くのなんの(^^;)。

あらら、なんか引用文をつけたらかなり長くなってしまいましたね(^^;)。
あまり長くなってもお読みいただいている皆さんが疲れるだけですので、今日はこのくらいにして続きは明日に持ち越します。
すみません。

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2013-05-30 23:43 | カテゴリ:映画レビュー
イギリスのハマー製作のカルト・ホラー「悪魔の植物人間」視聴しました。
何のことはない、ゲオの80円レンタルセールで、先日の「無用ノ介」と一緒に宅配レンタルしたんですが。
80円は明日(5/31)までなので、見たい映画がある人は急いだほうがいいかもよ!w

詳しいレビューは後に譲りますが、いやあ、聞きしに勝る怪作ダスw
植物人間の恐怖を描くと言うよりも、フリークスを主役にした作品ですね、これは。
出てくるモンスター(ハエトリグサ男)がたいへんチャチなので、余計にフリークスたちが強調されて見えるんでしょうなあ。
大体、舞台になる場所が基地外教授の家とフリークスたちが生活するワゴン車とかが多いので、モノホンのフリークスがバンバン出てくるわけです。
そんな彼らが出演する見世物小屋なんかの風景にうらぶれたドサ回りの遊園地の雰囲気がよく出ており、なんとも言えないいかがわしさが感じられて良かったです。
これはトビー・フーバーの「ファンハウス 惨劇の館」などにも描かれているんだけれども、本作のほうが出てくるフリークスの皆さんが本物なだけあって上です。
ちょっとトッド・ブラウニングの「怪物團」を彷彿とさせる場面も。

スタッフを見たら、かなりの大物が監督している映画なのですね。
正直そんなものとは思っても見ませんでしたので、驚きました。
その割には「?」な脚本や演出なんですが、破格の40万ドルというローバジェットで制作されたそうなので、仕方ながないのかな。
まあ破綻せずに物語が進むので、それほど気にもならないと思いますが。
ホラーファンなら一度は見たい怪作だと思います。
おすすめw

2013-05-29 23:57 | カテゴリ:雑記その他
今日で関東甲信越が梅雨入り。
日本の大部分が梅雨に入ったわけですね。
梅雨、嫌ですねえ。
もともと暑いのは苦手なんですけど、蒸し暑いというのは最も嫌なタイプの暑さです。
jきに、東北も梅雨入りかと思えばなにやら今からうんざり。
梅雨なんてなくなってしまえばいいのに!!
でも紫陽花は好きだけど。

2013-05-27 23:17 | カテゴリ:雑記その他
最近、このブログを借りている場所「FC2」がちょっと調子悪い。
以前からなんか変だと書いて来ましたけれども、それが最近では特に顕著な感じなのです。
先週の土曜日なんて、ブログ記事を更新していざ投稿、と送信ボタンを押したら突然接続が遮断されてしまい、結局書いた記事は消えてしまいました。
ブログ自体にアクセス出来ないということよりも、こっちのほうが問題な気がするなー。
ちゃんと管理してもらわないと、本当に困る。
FC2は記事内容に大らかだし、アメブロなんかに比較するとかなり使いやすいので出来れば使い続けたい所ではあるんだけれど、こんなことが今後も頻繁に続くようなら移転も考えなくちゃならないかと思っています。

最近キーボードの「I]のキーだけが妙に硬くなって来て困ってます。
今までのようにスムーズにタイプできない。
なんかがりっとした手応えがあってスムーズにキーが凹まないというのかなんというのか。
なんでだろうか…。

先日、今から40年以上も昔の古いテレビ時代劇「無用ノ介」を試聴する機会に恵まれました。
これはもともと少年マガジンかなんかに連載されていたさいとう・たかを原作の劇画なんですが、それを当時のテレビ時代劇としては初めてというカラー制作で撮影したものです。
結果的に、週刊誌で7年くらいも続いた人気作の原作を超えることはできず、全19話という短命に終わってしまったのですが、いや、これがかなり面白い。

主人公の「志賀無用ノ介」を演じるのはデビューしたての伊吹吾郎…水戸黄門の格さんの人ですが、相当かっこいいのです。感情を抑えた、物静かな中にも熱さとか正義感を感じさせるような演技がいいんだなあ。
脚本は原作にやたら忠実で、さいとう先生の時代劇ががお好きな方だったらすんなりはまれると思います。
主人公の無用ノ介は我流の剣術「野良犬剣法」の使い手なのですが、この殺陣が走る、跳ぶ、倒れる、刀を投げたり変則二刀流も使うなど、まさしく奇想天外。
対する敵もジェットストリームアタックとかw、二人が交互に位置を変えながら幻惑的に斬りかかる、詰将棋のように集団で襲ってくるなど、手を変え品を変えの攻撃で迫り、それに無用ノ介の野良犬剣法がどう立ち向かうのか…とその辺りも見応えがあります。
ところでこの攻撃ってどこかで…と思ったら、他のアニメや漫画なんかでパクりまくられているんですね(^^;)。
まさか無用ノ介がオリジナルだったとは。

かなり昔の作品なので、演出もオーバーだし、さすがに全体的な古臭さは否めませんけど、最近の時代劇にはない泥臭さやケレン味があり、
「時代劇の面白さってこういうところにもあるよなー」
と思い出させてくれるかのような作品です。
ここ数年来大流行の藤沢周平原作・山田洋次監督作品のように、妙に気取ったような時代劇にいささかうんざりしておられる方には是非おすすめしますよ。
レンタルビデオとかでもDVDを貸し出ししていますから、気が向かれたら一度ごらんになるのもよろしきかと。

2013-05-24 23:57 | カテゴリ:ブログ
昼過ぎから腹痛とそれに伴う猛烈な下痢。
原因はなんだろう。
別段変わったものを食べた記憶もないのですが…。
夕方頃小康状態になったのですが夕食後再びぶり返してきて、未だに収まらず。
とうとう耐えかねて、安易に薬をのむのは良くないと思いつつも、先ほど下痢止めを服用。
それがフィルム状になったやつで、水なしでも飲めるというのを謳い文句にしているもの。
家には他に下痢止めがなかったので仕方なく飲んだのですが、いやこれがまた不味いのなんの。
良薬は口に苦しとはいえ、これは少し遠慮したいお味。
ただ単に苦い!辛い!とか言うのであればまだ我慢もできるんですが、やたら甘ったるく、その中にツンと来るような刺激もあり、どうにも…。
未だに胸がムカムカしています。
初めて服用したので、果たして止まるかどうかは分かりませんが、大人しく収まるのを待ちたいと思います。

2013-05-22 19:36 | カテゴリ:本の紹介
先日、久しぶりに知人が経営する喫茶店へ行ってみますと、面白い本があるのであんたにあげるといって、知人が一冊の本をくれました。
「盛岡伝説案内」という本です。



盛岡には「街もりおか」というタウン誌があります。
タウン誌といっても本屋などでは売られておらず、蕎麦屋とか菓子屋とか、そういうお店のレジ脇にちょこんと乗せられているような、、薄くて小さい本です。
このタウン誌はもうずいぶん長いこと続いていて、多分40年以上の歴史があるんじゃなかったかなと思いましたが、はっきりしたことは忘れちゃいました(^^;)。
その雑誌はタウン誌ですから、盛岡の街に関するいろいろな記事が載せられているわけですが、普通のタウン誌がショッピングとかレストラン、イベントなどの紹介や案内情報を多く掲載しているものであるのに対して、この雑誌は盛岡在住とか盛岡に縁を持つ文化人(例えば劇作家の内館牧子とか)などのエッセイ等を多く掲載しているという、ちょっと変わった感じのものです。
その雑誌の記事のひとつとして、盛岡の歴史や伝説を紹介するコーナー「盛岡伝説案内」があるのですが、この本はその記事を1話から百話までまとめて一冊にしたものです。

なんでもこの本を書いた高橋智という方がその知人の遠縁に当たるそうで、その関係で購入したものだそうです。
ページ数も結構あり、値段も1600円もする高い本ですから、もらってしまっていいものかどうかいささか申し訳ないような気もしましたが、
「いや、一度読んでいるし、どうせならこういうのが好きな人にもらってもらったほうがいから」
と仰る知人の好意に甘えることにして、頂いて来ました。
僕は元から歴史であるとか民俗学であるとかそうしたものに興味を抱いて止まない人間ですので、これは非常に嬉しい贈り物でした。

その本を今読んでいるのですが、いや、実に面白いですね。
僕は盛岡の歴史についてそれなりに深く知っているつもりだったのですが、それでも全く知らなかったような歴史がたくさん載せられていました。
そして、それらの歴史や伝承に自分が大変良く見知っている場所が深く関わっていると思うと、なにやら不思議なような、そして嬉しいような気がして、読み進めるのがとても楽しくてしかたがないのです。
こういう本は、もっとわかりやすく書き改めて(いえ、大人用としては十分わかりやすく、親切にまとめてある本ですけれど)、幼い子供たちや小中学生に読ませて貰いたいですね。
そうすれば、きっと自分のふるさとに対する愛着や郷土愛みたいなものが深まると思います。

何だかこの本と地図を片手に、もう一度盛岡という街を歩いてみたくなりました(^^)。

2013-05-21 23:55 | カテゴリ:雑記その他
今日は朝から大変に良い天気。
ただし暑かった…。
そして私は、日光アレルギーにつき、こういう日差しの強い日には肌がケロイド状にただれてしまうのであった。
因果な身体よのう。

用事があって車で郊外へ。
遠くの山も次第に緑になってきて良い感じでした。
運動公園では高総体が開かれており、結構な人出があった模様。
スポーツといえば秋かと思えば、初夏のほうが割合的には高いのかな。よくわからないけど。

帰りに某模型店へ立ち寄ったのですが、この模型店の店員は客あしらいがまるでなっていないので、いつ行っても閉口します。
これについては色いろ書きたいこともあるのですが、愚痴はこのブログに書かないことにしているのでやめておきます。

「ゾンビ大陸アフリカン」を鑑賞。
以前から見たい見たいと思っていた2010年の米国製ゾンビ映画「THE DEAD」の日本公開版なのでありますが、いかにも酷いタイトル。
こういうのはインパクトが大事なんだろうけど、もっとまともなタイトルは付けられないものですかねえ。
内容の方は、ここ数年で見た映画(と言ってもそれほど見ておらんが)の中でおそらく一番面白かった映画だと思います。
レビューは後日に譲りますが、とても面白く鑑賞しました。
やはりゾンビはのろのろゾンビのほうが良いと思います。
それにしてもアフリカ…たしかに雄大な自然が広がるアドベンチャーワールドではあるけど、ああいう乾いた土地っていうのは、個人的に好きにはなれないな。
そういう意味では日本に生まれてよかった。

日本全国、震度の大小はあれ地震が多いですね。
今もちょっと揺れました。
震度1くらいかな?
デカイのがドカンと来る可能性も十分になりますから、みなさんくれぐれもお気をつけて。

2013-05-20 19:33 | カテゴリ:映画レビュー
気温も高くなってきて、野にも山にも若葉が茂る、山ほととぎす初鰹。
そんな時候にはこれがぴったりでしょう。
何がって?
そう、超時空映画館。

(今日のお題)
「ヘル・レイザー2(1988年 イギリス)」




(あらすじ)
「ヘル・レイザーから数日後。
カースティは精神病院へ入院させられてしまった。彼女は自分が経験した悪夢のような出来事を刑事や医者に語るが、誰一人として信じるものはいない。
一方、病院の院長チャナードは以前から「ル・マルシャンの箱」の研究をしており、パズルマニアの少女ティファニーを使って、自らを犠牲にすることなく修道士を呼び出し、魔界へ入ろうとする。

(感想)
「ヘル・レイザー」の直接的な続編です。
ただし、前作で独特の世界観を構築し、観客の度肝を抜いたクライブ・バーカーは監督を降板し、制作総指揮に退いています。
監督したのはアメリカのトニー・ランデル。
前作ヘル・レイザーでは編集を務めていましたが、何がバーカーの気に入られたのか監督に抜擢。
この人のフィルモグラフィを調べてみると、この映画の続編「ヘル・レイザー3」の監督も務めているようですから、生粋の「ヘル・レイザーマン(←なんだそりゃ)」と言えそうですね。それ以外には「ゴジラ」とか日本の戦隊物特撮番組の再編集版「パワーレンジャー」などの制作にも関わっているようですから、多分日本の特撮なんかにも通じた映画人なのかもしれません。

さて感想ですが、正直言って前作より面白くはあリません。
うーん、面白くない…というか、キャラクターや背景などのプロットは同じなのですが、表現やストーリーが別な方向に走ってしまったというか、なんとなしの違和感と微妙な雰囲気を持った映画…という感じでしょうか。
続編に前作を超えるものはないと俗に言われますが、なるほどそんな感じのする映画です。

前作はバーカー独特の「サドマゾの世界」とか「生と死の境界線の曖昧さ」などが展開され、絵面や流血シーンにも一種の気品というか、芸術的センスというか、前回のレビューでも書きましたがある種の「美しさ」とでも言うべきものが強く感じられたわけですが(これは映画の殆どが、薄暗い不気味な屋敷内で展開されていたという事も影響しているかもしれません)、今回はやたらゴア描写が増え、しかもそれが間接的ではなくおもいっきり直接的に描写される上、舞台も精神病院から魔界まで様々な場所に移動するたせいか、前作にあった「美しさ」は残念ながらほとんどなくなっています。
この辺りがバーカーとランデル監督の才能や演出力の違いなのかもしれませんが、やはりよくできた映画といえる前作を視聴した後だと、どうしてもあのクオリティを期待してしまうのですよね。
しかも、前作からのシーンや、おそらく撮影されてはいたものの映画には使用されなかったカット(ラリーとジュリアの結婚式のシーンなど)の使い回しが多く、結構「安い作りだなあ」と思わせる場面もあります。
しかし、かと言って「つまらない」とバッサリ切り捨ててしまっていい映画なのかといえば、これがそうでもないのです。
修道士たちのキャラが変わってしまっていたり、相当都合のいい展開も見られるのですが(当然、ツッコミどころが多いw)、とりあえずお話は破綻せずに最後まで続くので、映画としては比較的まともな作りになっています。
また、修道士の過去の姿を描いたりする工夫や、魔界に広がる迷宮のロケーション、独自のゴア・シーンの特撮なども見るべき部分は多く存在します。
色々と問題の起こりやすい「続編」としては、まあまあの出来なのではないでしょうか。

この映画は前作の直接の続編なので、主人公のカースティをはじめとしてジュリア、フランクなど前作の登場人物が数多く出演します。
今回のカースティは、前作でフランクによって皮膚を剥がれて殺されてしまった父親の、地獄に閉じ込められた魂を救い出すべく、魔界の大迷宮をさまようわけですが、別にこれといった超能力を持っているわけでもなく、前作で使ったパズルボックスという武器も持っていないわけで、かなり頼りない感じです。
パズルボックスを解く役目はティファニーという名前の少女(「エイリアン2」のニュートを多少大きくしたような感じの顔で、いまいち可愛くない)が請負い、二人は力を合わせて迷宮からの脱出を図ります。
そんなどこか頼りない少女ペアですが、彼女ら主人公2人などよりも、今回はとにかくジュリアの存在感がすごいw 
彼女は前作のラストでフランクにナイフで刺されて死ぬのですが(因みに、原作だと「技師」に生首だけの姿になって生かされており、カースティに助けを求める)、死体は修道士たちの悪戯(?)によってベッドに鎖で結わえ付けられていました。その手にはパズルボックスが握られていて、カースティをそれをもぎ取って修道士を撃退したわけです。
今作ではその寝かされていたマットレスが登場し、ジュリアはその中から復活してくるのですね。
自傷癖のある精神病患者がその上で自分の身体をカミソリでメッタ斬りにし、その流れる血を吸収してジュリアが復活するのですが、このシーンがかなりエグい。 前作ではフランクが手に怪我をするシーンで「アイタタタ!」と叫んでしまったのですが、今作では叫びどころ(痛がりどころ?)は間違い無くここです。
前作のフランクの復活シーンはかなり手が込んだものでしたが、今作のジュリアは結構あっさりと、しかしパワフルにズギャアアアアーッ!(荒木飛呂彦の擬音想像)と復活してきます。このシーンがなかなか凄まじく、文字通り血だるまになって逃れようとする患者にジュリアがのしかかり、もつれ合い、のたうちまわる修羅場を展開。
このあとも若い医師を誘惑して皮膚を再生させたり、カースティを殴り飛ばして気絶させたり、魔界ではチャナード博士を修道士に改造する手術を施すなどやりたい放題。
結果的には中途退場しちゃいますが(このシーンが傑作で、皮膚が身体からスポン!って脱げちゃうw)、修道士たちを食ってしまうほどのワルぶりで、悪の女王としての貫禄たっぷりです。なかなかかっこいい。
それに対してフランクは結構情けなく、ジュリアに心臓を抜き取られて殺されちゃいます。
前作でのふてぶてしいワルぶりがまるでウソのよう。

今回の修道士たちは何ともぱっとしない感じで残念のひとこと。
キャラが変わってしまっていて、「この子が開けたのではない、欲望が我々を呼んだのだ」とか言って箱を開けたティファニーを見逃したり、しまいにはカースティを守って新たな修道士となったチャナードと戦う(この戦いが本当にしょぼくて、泣けてくる。そしてやたらあっさりとやられる修道士…)など、前作で見せた冷酷さや卑劣さはどうなったんだろうかと。あれがあったから彼らのキャラクターは魅力的でもあったのに。
まあ、原作の人間臭い彼らに近づいたといえば近づいたのかもしれませんが…。

…つか、魔界でしょ? 死ななきゃ行けないみたいな場所にいるから(だからフランクは肉体はバラバラにされても魔界では生きていた)、彼らは「地獄に囚われた魂」なのかと思ってましたが、魂だけのはずなのに、肉体的な攻撃で死んじゃう(殺される)の? 
魔界、謎すぎだろw

印象的なシーンはチャナード博士、そして修道士のリーダー格である頭に針山を打たれた男「ピンヘッド」が修道士に改造される場面でしょうか。
イギリスの軍人だったらしいピンヘッドが箱を開け、修道士に変貌していくシーンでは、最初は「痛い、誰か助けてくれ!」と泣きわめいていた彼が手術?を施されるに従い「おお、これはなんと心地よい痛みなんだ…」なんて言い出します。
チャナード医師の場合も殆ど同じで(もちろん施術は異なりますが)、最初はワー!ギャー!と悲鳴をあげていたのに最後にはニタニタ笑って人に襲いかかる立派な怪人に変身してしまうのです。
この辺り、「痛み」が「快楽」という間隔に変わる瞬間、そして「被害者」が「加害者」に変貌するさまを描いていて、なかなか興味深いものがありました。

また、広大な迷宮が見渡す限りに広がり、漆黒の空に巨大なパズルボックス(魔王リバイアサン)が浮遊する魔界のロケーションが素晴らしい。幻想的かつ悪夢的、あの荒涼とした雰囲気はかなりよろしいと思います。
地獄に囚われた人間たちを苦しめる「拷問」が、肉体的なものだけにとどまらず、個人個人の思い出やトラウマをえぐる精神的なものに及んでいるあたりもいい。これは原作でも少し描かれていましたが、ある意味、こうした精神的な拷問のほうが肉体的な拷問よりも辛い部分が大きいといえると思いますので、さすがサドマゾの魔界は抜かりないんだなとw
修道士と化したチャナードの姿もグロテスクかつ異様で面白い。手のひらから触手を何本も伸ばして攻撃したり(その触手の先端がパカっと開いて中から刃物やドリルが出てくる)、大腸を彷彿とさせる巨大な触手に頭から吊り下げられて移動するなど、どこか美しさも感じさせたピンヘッドら前作から引き続いて登場する修道士たちとは全く異なる、醜悪で生物的な嫌悪感を感じさせる姿です。
ただこの触手が人形アニメなんですけどなんか安っぽいんですよね。もっと上手く撮れなかったのかなあ。

トホホなシーンは割と多くありますが、中でもとりわけ不思議だったのは、パズルボックス「ル・マルシャンの箱」がたくさん出てきたことです。
いや、普通にたくさん出てくるんですよw チャナードなんて自宅にガラスケースに入れて3個も持ってる。
前作では「この世にひとつ」みたいな扱いだったんですけど(言及はされてませんが、へんてこな怪物が回収していったものをアラビア人のジジイが売っているので、そう連想させられる)、3個、4個…と出てくるのは「いったい前作は何だったんだ…」と見ていて結構しょんぼりしますねw
これじゃあの変なトリさんも浮かばれないだろと。
あとは先にも上げましたが修道士のキャラが変わってしまったところ、箱を開けてもいない精神病院の患者たちがチャナードに虐殺されるところ(だいたい、修道士は快楽の探求者のはずなのに、チャナードの場合ただの殺戮者になってしまっているんですよね)前作に登場したシャチホコみたいな怪物が登場しなかったところなど、ツッコミどころは数え上げたらキリがないw
そしてチャナードが死ぬシーンなんですが、床に刺さった触手を抜こうとしていきんだら首がもげちゃったという、よくわからない死に方でした。特撮は上手くできてましたが。
そしてまあ、あのラストはないでしょう!
あのラストがあまりにもひどく、映画のすべてを台無しにしてしまっているといってもいいくらいです。

この映画はおそらく観客を怖がらせようとして、やたら直接的なゴア・シーンや、魔界の風景など、観客の視覚に訴えかけるを入れたんだろうと思いますが、何だかそれが裏目に出ちゃったような感じです。その部分が、逆に前作の良さみたいなものをなくしてしまっているように思います。
前作同様耽美的美しさとか、性的快楽と肉体的痛みなどを追求して、見るものの視覚ではなく、あのガラスを引っ掻いた時のキィーッという音を耳にした時の全身が毛羽立ってくるような不快感というか、そういうものに類する部分に「恐怖」で訴えかけるような作りにしておけば、もっと評価も変わったのではないかと思います。
そしてラストだ、あれさえなければ…w

でもまあ、「金返せ!」と言いたくなるほどひどい映画でもないですし、普通のゴア映画としてみればそれなりに見どころも多い映画ではありますので、ご覧になられてみるのもよろしきかと思います。
多分退屈はしないと思われます。
その際には「ヘル・レイザー」も同時にご覧になられると、両者の特徴みたいなものがよく分かって面白いかと思います。

2013-05-18 23:03 | カテゴリ:雑記その他
今日は非常に暑かったです。
盛岡なんていう辺境最果ての地ですら26℃もありました。
26.3℃ったらもう夏ですがな、夏。
風があっただけまだマシな方なのでしょうが、一体いつから春~初夏を通り越して「夏」になったんですか?
そして明日の予報では、20℃も気温は上がりません。
暑いのは大嫌いなので気温が低いのは構わないんですけど(いや、低すぎても困りますが)、今日との気温差が体に応える…。
いや本当に、いい加減にして欲しいですな。

その反面、街のあちこちに緑が増えてきたのはいいことですね。
冬には枝葉を来られて丸坊主だった街路樹もいい感じに若葉が繁ってきました。
もうちょっと緑が濃くなってきたら、またどこかへちょい旅をしてみたいですね。



2013-05-18 01:55 | カテゴリ:キャラクター紹介
前回の続きで、ジェニーの姉妹たちのご紹介です。
今回ご紹介するのはジェニーの双子の姉・バーバラです。




*次女 バーバラ・アレクサンダー(Barbara Alexander)

berbara.jpg

16歳。
ジェニーの双子の姉妹です。
愛称はバービー、バーブなど。
戸籍ではジェニーの姉ということになっていますが、ジェニーには彼女を姉と敬う気持ちは殆ど無いため、彼女の名前を呼ぶ際にはフルネームの呼び捨てにしており、絶対に敬称や愛称では呼びません。バーバラの方でも同じで、ジェニーを必ず「ジェニファー」とフルネームで呼びます。
これは彼女たち双子の性格が正反対で反りが合わず、お互いを軽蔑しあっているという事情から来ています(後述)。
ジェニーとは双子なのですが二卵性のため、顔はあまり似ていません。
お姫様然としたクールな美貌と優雅な物腰から、使用人や関係者たちからは5姉妹の中でも最も人気があります。

長女のジーンが知的障害児であったのとは反対に、バーバラはいわゆる天才少女でIQ220という飛び抜けて高い知能指数を持っており、一を知って十を覚えるという利発さもあって、わずか16歳にして飛び級により国立大学を卒業しています。
学問ばかりではなくスポーツにも豊かな才能を見せ、乗馬とフェンシングに卓越した才能を発揮します。
特にフェンシングは父親のウィリアムをコーチとして幼い頃から練習を積み、現在では王国女子フェンシング界の若手ホープとして国の内外で勇名を響かせています。
格闘技も嗜んでおり、試合なら腕っ節の強いジェニーと互角に戦ってみせます(ただし真剣勝負ならわかりません)。
両親にとって、5人の娘たちはいずれもかけがえのない存在ではありますが、その中で他人に最も自慢できるのは間違い無くこのバーバラです。
世間はバーバラの美貌と豊かな才能から、彼女こそがアレクサンダー伯爵家の家督を次ぐ後継者と目しています。

彼女はこのように才色兼備の完璧なお嬢様とみなされていますが、実は異常なほど自己愛の深いナルシストで、自分以外の人間はたとえそれが親兄弟であろうとも愛することができないという一種の性格破綻者です。
勉強やスポーツに打ち込み、それぞれ優秀な成績を残していますが、それもナルシズムの特徴である「社会的地位や目標の達成により自分の満足と周囲の注目を得ようとすること」の発露に過ぎず、学問やスポーツそのものには何の価値も情熱も見出してはいません。
また他人への深い感情移入を行うことができず、友人はたくさんいますが、「親友」と呼べるような存在は1人も持ちません。
加えて、他人に対して時に信じられないほど冷酷な物の考え方をします。
普段のバーバラはそれを母親譲りの天才的演技力で覆い隠し、人前では「模範的なお嬢様」を演じているので、彼女の本性に気がついている人間はそれほど存在しません。
バーバラがナルシスティックな本性や嗜好をさらけ出すのは、自室に戻って大きな鏡の前に立つときだけです。
因みに自己の肉体に性的対象を見出しているため異性に全く興味がなく、ボーイフレンドは1人もいません。

双子のジェニーは早くから、こうしたバーバラの異常な性格を見ぬいており、そんな彼女を激しく嫌悪しています。
バーバラの方でも、ジェニーを自分より劣った「分身」として軽蔑しつつも、彼女が自分にはない多くのものを持っていることを認識しており、深い妬みと嫉み、そして憎悪を抱いています。
そのため、双子とはいえバーバラとジェニーの仲は険悪といっていいほど悪く、幼い頃から喧嘩のし通しで、両親や周囲の人間の頭を悩ませてきました(現在では両親が離婚してしまったため、屋敷内で二人が顔を合わせることもなくなり、喧嘩も自然に解消された形です)。
現在は父親や姉のジーンとともに屋敷で生活しており、国立大学の大学院へ通っています。

趣味は写真です。ただし撮るのではなく撮られることで、映画狂の父が用意している専用のスタジオに出向き、プロのカメラマンを雇って様々なコスプレをした自分の写真を撮らせています。
その写真をアルバムに収めたり、部屋のいたるところに貼ってうっとりと眺めるのが好きなのです。
因みに好物は辛いもので、この点でも甘いもの好きのジェニーとは正反対です。




次回はジェニーと最も仲の良い妹「リカ」についてご紹介します。

2013-05-17 19:25 | カテゴリ:雑記その他
盛岡なんていう北国でも桜の花はとうに散り、木々には緑の若葉が芽生えて参りました。
先日までの肌寒さや曇天模様もどこに行ったのか、このところ良い天気が続き、日差しも急に強くなってきて、春らしさを一足飛びに通り越して、随分と初夏らしい気候になってきました。
さすがに田植えはまだのようですが、用事で車を郊外に走らせてみると、田起こしもすでに終わって田んぼに水を張ったところが多く見られるようになって来ました。

5月といえば、春と言うよりも初夏ですからね。
これが正しい(?)季節のあり方なのかもしれませんが、先日までの異常な気候を見ていると、何やら心配になります。
とにかく今年の春はどうにも、春らしい感じがしない春でした。

何だか損をしたような気分です。

2013-05-16 17:00 | カテゴリ:キャラクター紹介
最近、これといってブログに書くような出来事がありません(^^;)。
それで更新に手をこまねいておりましたが、このまま更新しないというのもつまらないので、前回からだいぶ間が開いてしまいましたが、久しぶりにジェニーのお話でもさせていただこうかと思います。
この関連記事を読んでどれだけの方が楽しんで下さっているのか分かりませんが、まあ自己満足的な意味も含めて、ここは厚顔無恥にこのシリーズ?を続けたいと思いますw

前回はジェニーの両親(すでに離婚済み)についてご紹介をさせて頂きましたが、今回はその両親の間に生まれた娘たち、すなわちジェニーを含めた5人の姉妹たちをご紹介しようかと思います。
…と言っても、ジェニーを除いても姉妹は4人もいるので、一人ひとりについて詳しくご紹介していくと、やたら文章ばかり長くなってしまいますから(いつものことだろ、というツッコミはなしの方向でw)、1人ずつを4回に分けてご紹介していこうかなと思います。

前回の両親のお話の際、是非顔も見たいというご意見を頂きましたので、今回はやっつけですけど首絵もご用意しました。
みなさんのイメージをしやすくするために(いや、実際なるかどうかはわかりませんが…)一緒に添えておきます。

*アレクサンダー姉妹(Alexander sisters)
ウィリアムとシシー夫妻の間に生まれた5人の娘たちです。。
ウィリアム33歳、シシー20歳の頃から大体2年置きの間隔で生まれています。
美男美女カップルである両親の血を受け継ぎ、美人揃いの姉妹としてステュアート王国内ではそれなりに有名な存在で、特に末妹のモモコが子役俳優をしていることから、時にはゴシップ記者やストーカーに追いかけられることもあります。
現在では両親が離婚してしまったため、長女と次女は父親方に、三女(ジェニー)以下は母親方に引き取られて養育されており、5人姉妹が揃って顔を合わせることはほとんどありません(親族の冠婚葬祭や祖父母の誕生日祝いの席くらいです)。
個性的な性格のものが多いため衝突も多く、姉妹仲はそれほど良くはありません。この姉妹喧嘩は、離婚する前の(ある意味では離婚後も)両親の頭を常に悩ませてきました。
因みにこの姉妹の名前は、着せ替え人形の名前を元ネタとしておりますw




*長女 ジーニアス・アレクサンダー(Genius Alexander)

genius.jpg

18歳。
5人姉妹の一番上のお姉さんで、愛称はジーンです。ただし、ジェニーからは単に「姉さん」と呼ばれています。
おっとりした容貌の美少女ですが、軽度の知的障害を持っており、身体は大きいものの知能は子供並みしかあリません。
最近まで家を出て、知的障害児の特殊学校(日本で言えば養護学校に当たります)に寄宿していました。

両親の最初の子供ということで大変愛されて育ちますが、3歳の頃に知的障害児であることが発覚すると、両親は非常に大きな衝撃を受けます。
それでも父親ウィリアムは「障害を治すことができないのなら、せめて愛情だけは注いでやらなければいけない」と前向きな考えを持ちましたが、母親シシーはその時すでに2番めの子供であるバーバラとジェニーの双子を出産していたこともあり、どうしてもジーンの知的障害が受け入れられず、苦悩しました。
この間様々な話し合いが夫婦や家族の間で持たれましたが、結局シシーはジーンの養育に自信が持てず、ジーンは屋敷で働いていたエバンジェリンという若いメイドによって育てられることになりました。
エバンジェリンは弟がやはり知的障害児で、障害児の接し方や扱い方に比較的慣れていたため、ジーンの養育を任されたのでした。
このような生い立ちを持つため、ジーンは父親ウィリアムには大変良くなついていますが、母親のシシーに対してはそれほどの親しみを見せようとしません。
もちろんシシーが生みの親であることはジーンにも認識できていますが、心情的にはエバンジェリンの方が母親なのです。
そのためジーンとエバンジェリンはいつも一緒で、本当の親子のように親しく接しあっています。
シシーにとっては、この育児放棄ともとれる行動を取ってしまったことが現在でも大きな心の負い目となっており、ジーンと顔を合わせるとどうしても腫れ物にさわるように接してしまうため、現在では大変ギクシャクした親子関係になってしまいました。

性格は大変柔和で心優しく、子供のように純真です。花と小動物を愛し、人を疑うということを知らず、人間の心は全て善意でできていると思っています。
そのため「天使のような娘」といわれることもありますが、それは裏を返せば人に簡単に騙され、正しい判断を自分で付けられないということを意味しています。
実際、14歳の頃に街に買い物へ出た際、エバンジェリンが少し目を離した隙に見知らぬ男に騙されて拉致され、性的暴行を含む散々な目に遭いました。
幸い警察によって無事に助け出され命までにはかかわりませんでしたが、以降ジーンにはどこに行くにもエバンジェリンの他に、アメリカ人のボディガードが同行するようになりました。
このボディガードはシェイファーという名前の若い女性で、元海兵隊です。除隊後、イギリスの軍事企業に入社したのですが、しばらくしてウィリアムにボディガードとして引きぬかれたのでした。

趣味は花の栽培と、ボウリングです。
花の栽培は屋敷の庭師と一緒に温室や庭園で行いますが、ジーンは知的障害を持つ反面、自分の好きな分野には非常に稀有な記憶力を発揮し、ほとんどの花の種類と名前をそらんじており、庭師の舌を巻かせています。
ボウリングは子供の頃から続けている唯一のスポーツですが(何しろおとなしいので一般的なスポーツは苦手なのです)、これもかなりの腕前を持っており、セミプロといっても通用するほどです。
幼い頃、ジェニーら姉妹たちとボウリングを遊ぶと、必ずジーンが勝ってしまうので、癇癪を起こしたジェニーが泣き出したことが何度もあります。
現在では特殊学校から家に戻って父親と一緒に生活をしていますが、ボウリングが出場種目のひとつに入っている「スペシャル・オリンピックス(精薄児のオリンピック)」への出場を目標としており、連日のようにボウリング場へ通って練習に励んでいます。
因みにだれにでも優しく接するので、屋敷で働くものたちから非常に愛されています。

ジェニーはこの子供のようなおとなしい姉が好きで、離れて生活するようになった現在でもよく訪ねて行っては、一緒にお茶を楽しみます。
ジーンはジェニーのことを「ちゃん」付けで呼びます。




次回はジェニーの双子の姉、そして最大のライバルでもある「バーバラ」についてご紹介します。

2013-05-12 22:17 | カテゴリ:ブログ
今日、両親が盛岡郊外にある叔父の家まで用事があって行ってきたらしいのですが、その帰りに叔父から色々と野菜などを貰って来ました。
その中に今が盛りの春山菜がありまして、今日の夕飯は当然ながらそれを料理したものになりました。
写真を撮らなかったので申し訳ないんですが(^^;)、タラボの天ぷら、行者にんにくの酢味噌和え、ナバナのからし和えといったメニューです。
叔父に感謝しつつ、大変美味しくいただきました。

…しかし食べてから言うのもなんですが

山菜ってアクが物凄く強いので、あまり身体には良くなさそうですよね。

食べた翌朝とか目やにとか酷いものなぁ…。
胃もたれとかも出るしなー。
でもタラボとか好きだからついつい食べてしまうんですよね(名前は忘れてしまったけどなんとかいう成分が入っているので、糖尿病にはいいらしいよ)。

うーん、明日の朝が心配だぜっっ。

おまけ
brondiedemon.jpg
今日の作業。
…まだ終わらない。

2013-05-10 23:21 | カテゴリ:ブログ
先日から春らしくない気候が続き、、気温が肌寒いなどと書いて来ましたが、昨日から今日にかけては天候は快晴、一転してはるらしい明るい陽気になりました。
めでたい。

…いや、めでたいとか言ってられない。
何故なら…

異常に暑かったからです。

盛岡なんつう辺境最果ての地ですら24℃…。
この時期に24℃なんて、言うまでもなく、例年にないことです。
だいたい、少し前まで寒かったのに。
全く、寒くなったり、暑くなったり…

一体どうなってやがるんだ。

これじゃ体調崩す人が続出でしょうねえ…。
現に、家の近所にある大型老健施設に救急車が出たり入ったりしてますし。
言うまでもなく、僕も調子良くないです。
目眩が酷い…。

そして明日からはまた雨模様で気温が下がる模様。
…神様、おねがいします。
いい加減にして下さい。

そして、僕の春を返して下さい。



2013-05-07 18:00 | カテゴリ:雑記その他
モンスターハンターというゲームがあるそうですね。
あるそうですね、というのは、僕はプレイしたことが全く無いので、よくわからないからなのですが。
というか、ゲーム自体もうしばらくやっていません。
プレイしているもの言えば、時々暇つぶしにやっているネットのブラウザゲームくらいなもので、それも2本くらい。
コンシューマーやアーケードのゲームには、とんとご無沙汰ですねえ。
これだから感覚が流行とか世の中の動きとかについていけないんだろうなあとか思いますが…。
そんな僕でもモンハンという名前くらいは聞いておりますので、よほど売れてるゲームなんでしょうなあ。

とにかくそのモンハンが、何故か我が岩手の南部せんべい販売会社「巖手屋」とコラボレーションして、タイアップ商品を発売したそうなのです。
その話を数日前のローカルニュースで聞きつけた老母が(結構ミーハーな性格か)、早速購入してきてくれました。

因みにこの巖手屋のおせんべいは結構美味しいのですよ。
商品を大別しますと、普通のせんべいタイプの昔ながらのものと、クッキーみたいにアレンジしたおやつタイプという二種類のせんべいがあるのですが、両方美味しいです。
伝統タイプのせんべいはお酒のおつまみなどにピッタリですし、おやつタイプのせんべいは珈琲や紅茶にもよく合う、良いお茶受けになります。
多分、盛岡人でここのせんべいを食べたことがない人というのはちょっといないんじゃないかと思います。

因みに巖手屋は盛岡駅などにお店が入っていて、おみやげとしてたくさんのせんべいを売っていますが、そのお店では世にも珍しい「てんぽ」という生せんべいを売っています。
冷凍になっていて、トースターとかでちょっと焼いて(確か電子レンジでチンも出来ると思いました)から食べるんですが、生地はお餅みたいにクニュっとした柔らかいもので、中にくるみ味噌が入っていてとても美味しいのですよ。
盛岡に来たらおみやげに是非どうぞ。

さて、これがそのモンハンコラボせんべいです。

「モンニャン部せんべい」だってw
なんか、ねことぶたが印刷されたアルミの袋に入っています。
これが多分モンスターハンターに登場するキャラクターなのでしょうね。
レアオニオン味と炎熱マンゴー味の二種類があります。

senbei2.jpg
まずはレアオニオン味から開けてみましょう。
普段の巖手屋のせんべいのパッケージはバアサンがせんべいを焼いている絵なんですが、これではねこに変わっています。
なんだかぶたが愛嬌があって良いですね。

senbei3.jpg
開けてみると、すごい玉ねぎの香りがしました。
おつまみでフライドオニオンとか(オニオンフライじゃなくて)ありますけれども、あれの香りですね。
袋を逆さにすると、中からは普通の伝統タイプのせんべいが出て来ました。
表面の黒いのは、胡麻です。

senbei4.jpg
しかし、せんべいをひっくり返してみると、裏にはフリーズドライっぽくした玉ねぎのざく切りがくっついています。
匂いのもとはこれだな。
因みに、巖手屋は最近この手のせんべいに力を入れており、モンハンのコラボ商品ではないですけれども、せんべいの裏にさきイカとかフリーズドライにした納豆とか、そういうものをくっつけた商品を売っています。
この商品もその延長線上にあるものということですね。

senbei5.jpg
で、今度は炎熱マンゴー味。
パッケージアートは同じなのか…。
右隅のオニオンがマンゴーに変わっただけのようです。
これだと購入するときに間違え安くなるんじゃないですかね。
うーん、どうせなら全く別のパッケージにしたほうが判別しやすくてよかったかも。
ねこの代わりに可愛いお姉ちゃんでも描いて欲しかったところですねw

senbei6.jpg
案の定というかなんというか、袋を開けると南国系の凄く甘い香りがします。
マンゴー…って言うより、ちょっとバターっぽくもあるような、結構強い香りですね。
こちらのせんべいは伝統タイプではなくて、クッキー風のおやつタイプのようです。
色は、どオレンジ色ですw
ええ、それはもうどぎついくらいに。
裏にはなんにもついてませんでした。
するとこのせんべいの生地にマンゴーが練り込んであるに違いない。

それで試食してみたんですが。
オニオン味の方はふつうに美味しいです。
南部せんべいの粉の味が、オニオンの風味に非常によく合っています。
味付けはちょっと甘目…多分オニオンをせんべいに接着しているものがシロップかなんかだからなのでしょうね。
ビールのおつまみによさそうな感じがします。

マンゴー味ですが、「マンゴー味」なんですから当たり前ですけど、物凄くマンゴー臭いです。
もちろんフルーツそのものを食べてるというようなフレッシュな感じではなくて、あくまでも風味としての問題ですが、それにしても相当マンゴーの味がします。その味は、サクサクした口触りのおやつタイプせんべいに結構マッチしているようにも思います。
マンゴーがお好きな方にはいいかもしれませんが、でも僕は正直ちょっと…。
いや、僕自身が元からマンゴーなどのトロピカルフルーツがあまり好きじゃないからなのでしょうけど、何だかモヤモヤしたような感じの味で、「これ、不味いです!」と胸を張って言うほど美味しくないわけではありませんが(胸を張るな)、ちょうともう遠慮したい感じの味で、残念ながら僕の口には合いませんでした(^^;)。

いずれにせよ、こういうコラボレート、タイアップ商品の試みは非常に面白いものを感じます。
実際世間的にも結構評判がいいようで、このせんべいを買ってきてくれた老母が言うには、旅行客らしい若い方が買って行き、飛ぶように売れていたとか。
どんどんこういう商品を出して、岩手をもっと元気にしてほしいものです(^^)。

2013-05-06 14:47 | カテゴリ:雑記その他
皆さんも御存知のように僕は絵を描きます。
描いていて思うのですが、「ブス」の女の子キャラを魅力的に描ける人は凄いですよね。

それもなんていうのでしょうか、物凄い「ドブス」とかクリーチャー並みのもはや異次元の存在的なブスではなくて、「十人並みよりちょっと下」くらいのブスです。
見る人に不快感をもたらさない程度の、言ってみれば「綺麗なタイプのブス」ですね。
こういうキャラを魅力的に描ける人の実力とか感性というものは、本物じゃないだろうかと思うんです。

男キャラだったら結構描きやすいと思うのですね。
キモメン、脂ぎった顔のおっさん、ジャバ・ザ・ハットみたいな超デブなど、ギャルゲーとかエロ漫画などでは、美少女をいたぶるのは大抵こういうキャラって相場は決まっています。
そして彼らの顔は本当に醜い顔に描いてあるわけなんですよね。

美しいものを醜いものが「犯す(性的な意味だけにとどまらない意味で)」というのがツボにはまるシチュエーションのパターンの一つだから、わざわざ怪物的なまでに醜いとか、生理的嫌悪を誘うようなルックスに仕立ててあるのだろうと思うのですが、こういうキモメンって描くのは意外に楽なんですよね。
見る人のことを気遣わなくていいし、元から人間じゃないバケモノだと思って描けばいいのですから。

そういう類のクリーチャー系ブスを書くのなら、男から性別を女に変えるだけなので、別に描くのは問題ないわけなのですが、それとは逆の意味で、見る人に
「この子ブスだなぁ。でもどこか可愛いなあ」
「このキャラブスだけど、なぜか萌えを感じるぞ!」
とか思ってもらえるような魅力的なブスギャルを描くのって、相当大変なんじゃないかと思うんです。

中には
「ただのブスじゃんか。なんでこんなのわざわざ描くんだよ」
って見向きもしない人もいるだろうとは思うんですけど、美人・可愛い系のギャルたちに混じってブスギャルがいたりすると、パッと目を引くものがありますし(言ってみれば、それだけでキャラが立つ)、何より美人カタログみたいで単調になりがちな中でブスギャルがいると、キャラクター全体のバリエーションが増え底上げにつながるというのは、いいことなんじゃないかと思うんです。

まあぶっちゃけ、創作…しかも漫画の世界なんてブスは死ね!!という世界なのだし(これは言い切ってしまっていいと思う)、だいたいそのブスというものの判断基準は個人的な嗜好と感性によるところが大きいと思うので、もしかしたらあまり意味のない話をしているのかもしれないのですが。

なんてことを、あるゲーム(エロゲーじゃないよ)に登場する「綺麗なブスキャラ」たちを眺めていて思ったのでした(^^;)。

…僕ですか?
挑戦してみましたが、とても無理でした。

と言うかブス以前にキャラの描き分けすら怪しいもので…。

しかもおれの場合、髪型すら変化が…(姫カットが好きすぎてw)


べ、勉強しよう(ペンタブレットを取り上げつつ)。

2013-05-04 22:59 | カテゴリ:ブログ
今日は肌寒い雨の一日でした。
それも普通に降るのならともかく、降ったりやんだりを短いスパンで繰り返すはっきりしない感じの雨。
こういう時が一番やな感じですね。
案の定気温は上がらず、せいぜい10℃前後まで。
せっかく咲きはじめた桜も、この寒さで蕾が開けないまま腐って落ちてしまうという感じで、街のあちこちで見るも無残な有様です。

で、昨日母親が岩手公園に友人たちと花見に行ってきたそうなんですが、桜はまばらにしか咲いていなかったのだそうです。
やはり寒いからかなと話をしていたら、桜を見回っていた植木屋さんと遭い、
「これはウソという鳥が桜の花芽をみんな食べてしまったからなんですよ」
と教えてくれたのだそうです。
今年はなぜかやたら多いのだそうです。
トリも異常気象を察して、食い溜めをしようとしているんでしょうか?

やはり異常気象なんですねえ。
北海道ではこの時期に雪が降ったとか聞きますし、盛岡でだってこの時期にこの寒さというのは異常ですよ。
今年の作物の出来が今から心配でなりませんよ。
ほら、青物とかやたら高くなったりするじゃないですか…。
お米も何だか凶作になりそうな予感がしますねえ…。
20年くらい前の、天明・天保の大飢饉に迫ると言われたあの凶作の年が繰り返されなければいいのですが…。



2013-05-03 23:34 | カテゴリ:本の紹介
先日まで読んでいた「血の本」と同時に購入していたクライブ・バーカーの「ヘルバウンド・ハート」読了。
これは言うまでもなく映画「ヘル・レイザー」の原作本である。
もともとは「魔導師」というタイトルでハードカバーで売られていたらしいが、文庫化に合わせて改題したものらしい。
調べてみたら、「bound」は「幽閉された、束縛された」という意味があるようなので、このタイトルはさしずめ「地獄に捕らえられた心」という意味になろうか。
ここで映画のレビューを書いたので、みなさんも「ヘル・レイザー」の内容はお分かりであろうとおもうが、なるほど快楽に魅入られた…囚われた人々(尤も、人間ではないものが多いが…)を描く内容なので、まさしく「名は体を表す」を地で行くタイトルではなかろうか。

読む前は結構量がありそうだなと思ったのだが、「血の本」みたいに文章の行数がギュウギュウに詰められて書かれているのではなく、結構ゆったりした感じで並べてあったため、一度読み始めると進むのが早く、読み終わるまで時間は殆どかからなかった。
ちなみに、「血の本」と比べると紙質も多少しっかりしたものになっていた。

この作品はさすが映画の原作なだけあって、内容はほぼ映画と同じになっている。
というか、バーカーは最初から自分で撮影する映画の習作とする意味合いでこの小説を書いたとのこと。
最初から映像化を狙っているなと思わせるような部分が随所にあり、映画を見た後でこの作品を読むとそのあたりがよく分かる。
逆に、映画を見た後だと物語が映画のシーンで脳内再生されてしまうので、妄想する楽しみというのは少なくなってしまうかもしれない。

お話の大筋は映画と同一なので、すでに映画のレビューを書いてしまったこともあるからここでは深く書かないが、読み終わってみて映画とは微妙にテーマが違うのではないかと感じた。
映画のほうでは「快楽=痛み」というテーマが首尾一貫して描かれていたが、小説の方では修道士たちが犠牲者に与える快楽を「人間には理解し難い、地獄の快楽」「少なくとも人間にとっては激痛にすぎない」みたいなことがハッキリ書かれてあるのだ。
つまり修道士たちが与える痛みは人間にとって快楽ではないとバーカー自身が否定しちゃっているわけなのだ。

だったらこの小説のテーマは何だといえば、もちろん映画と同じ「サドマゾの世界」にもあると思うが、本質はおそらく「共通の概念であるはずのものが全く違う概念だった場合の恐怖」とか、「人間の思考レベルを超える存在に対しての恐怖」あたりではないだろうか。
犠牲者側にしてみれば、セックスで味わうような肉体的かつ直接的な快感を「快楽」と思って箱を開けるわけなのだが、待ち構えている修道士たちが考える快楽というものは、そんな直接的なものなどとは全く次元が異なる、まさしく地獄の快楽とでも言うべきものだ。
なのでバーカーもハッキリ「人間には理解できない快楽」と書いている。
この「なんでそっち方向に行くんだよ」的な概念の相違や、それを普通の事として思考する相手が怖いわけで、バーカーが書きたかったのはそれではないか?

映画と比べたらそれぞれのキャラクターたちもかなり異なっているが、登場する修道士たちが結構人間臭い感じで描かれていて意外だった。
箱を開けたフランクに「本当にいいのか?門をくぐれば後戻りはできないぞ」と念を押したり、ラストではカースティに「早くここから立ち去れ」と促したりもしている。
当然映画で見せた裏切りはなく、印象としては「話がわかる」といった感じ。
特に精神病院でカースティと交わす「わたしがなんでこの箱を持っているのか、知りたくない?」「いや、べつに」というあたりは何だかマヌケな感じがして、笑ってしまった。

オチはカースティが箱の管理を修道士たちから託されるという映画とは異なるものだが、正直映画の方が劇的でよかった気もする。
まあ映画に出てきた悪魔の骸骨みたいなトリは余計だったかもしれないけど…(^^;)。

最後に、映画と原作の相違点をまとめておきます。

*舞台はアメリカではなくイギリスになっている。

*ラリーの名前が「ローリー」になっている。

*カースティがローリーに片思いするおミソ系の女友達になっている。年齢もティーンエイジャーではなく27歳。

*ジュリアはかなり性格が悪い。

*ローリーが本当に愚鈍なだけの人物になっている。

*フランクに箱を売るのはドイツ人。

*フランクが箱を手に入れて開けるまでの過程や、異界で受けた拷問の様子などの描写がある(肉体的なものだけではなく精神的なものも含まれていた)。

*フランクが復活できた理由がちゃんと述べられている。

*ジュリアが犠牲者を殺す凶器がハンマーではなくナイフ。

*修道士たちが妙に人間臭い。

*修道士の人数が5人になっている(男3人、女2人)。





2013-05-02 23:54 | カテゴリ:雑記その他
昨晩、以前ここの日記でご紹介した丹波哲郎の「鬼平犯科帳75」を夕飯を食べながらぼんやりと見ておりますと、物語の中に顔の長い浪人(悪役)が出て来ました。
おや?この顔何処かで…と思いますと、その浪人が「火付盗賊改の屋敷から出てきたな。あんた、長谷川平蔵の奥方か?」などとセリフを言います。
そのセリフを聞いて分かりました。

先日お亡くなりになられた、納谷悟朗さんでした。

生前の納谷悟朗さんは、自分の肩書きが「声優」と呼ばれることが大嫌いで、
「おれは声優じゃない、俳優だ!!」
と常々言っており、お亡くなりになられる数年前まで舞台などに出演されていたそうです。
声優はあくまでも俳優の延長線上にあるものだという思いがあられたのでしょう。
そういう方ですから、別に時代劇の脇役で出演されていたっておかしくはないのですが、顔出しの納谷さんをこういうテレビ時代劇で拝見するのは大変珍しいことですので、とてもびっくりしたのです。

そして肝心の納谷さんの演技の方でしたが、殺陣は結構うまかったです。
さすがに丹波さんにはかないませんけれどもw
ただ、厳しい性格とは裏腹の何だか人が好さそうなお顔をなさっておられるので、迫力はあまりなかったですね。悪役なんだけど、何だか善人に見えちゃう(^^;)。
この他にもテレビドラマなどに出演しておられるのかな。
何だか気になるので、今度調べてみようかなと思います。

しかし、もう40年も昔のテレビなので当たり前なんだけれども、出てくるのが殆ど故人の上、顔がとても若い。
何だかもうこの世にいない人たちがいきいきして走り回っているのをみると、テレビ番組とか映画っていうのは、とても不思議なものに感じました。
時間を切り取って残しているようなものですものね。
やはり映画などには、ゲームなどがどれだけリアルに進化したとしても到底かなわないような、もっと生々しくてエネルギッシュな何かがあるような気がします。
だから映画に魅了される人も多いのでしょうね。

2013-05-01 23:34 | カテゴリ:本の紹介
「血の本Ⅵ ラスト・ショウ」読了。

バーカーの「血の本」シリーズもこれが最終巻となる。
今回6冊通して読んでみて、クライブ・バーカーという小説家が極めて優れた幻想作家である事がわかった。

ここでアメリカ最大の現代ホラー作家スティーブン・キングを引き合いに出してみるが、同じ「恐怖」を描く作家であっても、キングとバーカー、二人の方向性は全く違う。
キングは基本的に日常に即した目線で足元を手堅く固め、その中に紛れ込んでくる異物的な恐怖を描くことが多いが(それゆえに彼の小説は丹念に日常的な事象描写を積み重ねていく…したがって、非常に長い。思わずうんざりするほどwでもそこが、キング作品の良さでもある)、それに対してバーカーの小説の場合、最初から日常性などどこにもない。日常を木っ端微塵にぶち壊した、おもいっきりファンタジックな物語に仕上げている。
もちろんどちらの手法も間違いではないし、事実世間的に根強いファンはどちらにもいるのだろうが、僕はキングよりもバーカーの作品のほうが好みだ。

バーカーの作品は「読むスプラッタームービー」と言われることが多いそうだ。
なるほど、彼の作品たちにはスプラッター映画的な印象がある。
確かに恐怖小説だから不条理な、そしてむごたらしい死と血糊で満ち溢れてはいたが、それはケレン味にあふれた、ジメジメしたところのない、言ってみればジェットコースター的なというか、お化け屋敷的なと言うか、怖がりながらもついニヤッとしてしまうような、そういう刹那的な恐怖が描き出されている。
四谷怪談のような、あとを引くような「怖がらせる」作品は非常に少なかった。

いや、「血の本」シリーズ、実に面白かったです。

以下は例の一口感想です。

*生は死なればなり
死神に魅せられた女性の死を描く作品。
これはバーカーがこれまでにも描いているところの「快楽=痛み(ヘル・レイザー)」とか「死は生の一過程にすぎない(セックスと死と星あかりetc)」に類するテーマの作品の一つだろう。
「人間の命は死があるからこそ尊い」とか「生と死は表裏一体である」とか、東洋哲学なんかではよく言うけれども、バーカーはそれをこの作品でダイレクトに表現していると思う。
主人公は子宮筋腫で女性としての機能を失ってしまい、喪失感と孤独感から生きる気力さえ失いかけているのだが、それが取り壊し中の教会の地下から出てきたカタコンペに入り込んで大勢の人間の「死」を目にして以来、逆に生気を取り戻していくという、生と死の逆転劇が展開される。
そして「自分は死神に魅入られているのだ」という思い込みに取り憑かれるあまり変質者に殺されてしまい、霊魂になって自分の死体を眺めるハメになる。
この辺りは彼女が奇妙な思い込みを深めていくところ、死神が現実的に存在していると思っているところ、そして死の瞬間そんなものはいないと悟るあたりを含め、マシスンの「血の末裔」を彷彿とさせるものがある。

*侵略者の血を
アマゾンのインディオの土地を取り上げた白人たちが、彼らの呪術で逆襲され、無残な死を遂げるお話。
この手のお話は小説だとホワイトの「こびとの呪い」などがあったし、映画などでもよく取り上げられるネタだ。
いわば怪奇小説の古典みたいなものだが、それをバーカー流に味付けするとこうなりますといった感じの作品で、とにかく侵略者の白人たちの死に様が凄まじい。
皮膚が異常に脆くなり(シャツの布地とか、空気中にあふれる細かいホコリ程度でも傷だらけになる)、ちょっとした刺激で全身に傷口が開いて文字通り血だるまになって死んでいく。
想像すると戦慄するが、よくまあこんな死に方を考えつきますな。
この作品を読んで思いだしたのは、イタリアの悪趣味映画「食人族」だった。
「食人族」のテーマは「文明人のほうが未開人より野蛮」「文明が異なる者同士は結局分かり合えない」というものだったと言われているが、この作品も同じだろう。
尤も、この作品の白人たちはたしかにムカツク奴らではあるが、後ろめたいことをしているいう自覚があるだけ「食人族」の愚劣極まる白人クルーたちよりはだいぶマシではある(それだけにその死のむごたらしさが際立っているわけだが)。
土地を返すから呪いを解いてくれるように頼みに行ってみたら、疫病で村人全員死んでましたっていう救いの無さがいい感じ。

*血脈のトワイライト・タワー
最初は冷戦構造を下敷きにしたスパイ小説なのかと思って読んでいたが、読み進めていくうちに狼男モノに文字通り変身w、
しかも話の軸は、ソ連のKGBとイギリスのMI6がともに狼男を集めて洗脳し、特殊部隊を作って密かに戦わせていたいたという、中二病そのものの発想w
バーカーに吸血鬼だとか狼男だとかいう古典的な怪物はあまり似合わないような気がしたので狼男ものと知ったときは結構驚いたが、さすがはそこはバーカーで、ちゃんとした血まみれ小説に仕上げてある。
この小説のテーマは「理性は獣性をどこまで抑えられるか」「人間らしさっていうのは何か?」ということではなかろうかと思う。
主人公が自分が狼男であることすら忘れているただのスパイであることや、それを思い出そうとして苦しむ場面、彼を洗脳教育した人物が直属の上司で悲劇的に死ぬのだが、彼が遺す最後の問いかけなどにそれが現れているように思った。
狼男軍団の侵略が始まることを予感させるようなラストが不気味な感じでよろしい。

*ラスト・ショウ
悪魔との契約を破った魔術師(手品師)の死体を守るために悪魔軍団と戦う探偵を描いた作品で、ちょっとかっこいいラストも含めて、ホラーというよりスプラッター・アクション小説と言って差し支えないと思う。
この作品を読んで連想したのは「死霊のはらわた」だった。
ジェットコースターのように矢継ぎ早に展開される容赦無いスプラッター描写とスピード感がまさにそっくり。
テーマらしいテーマも設けられていないようなところもそれっぽい。
悪魔軍団に拳銃や斧などで果敢に立ち向かう主人公の顔は当然、ブルース・キャンベルの顔で脳内再現された。
食事の際に、良い肉だからレアステーキで食べろと勧められて、「おれは血が苦手だから焼き過ぎない程度のウェルダンにしてくれ」と頼むような主人公が、後半は斧を片手に悪魔たちをバッサバッサと斬りまくり、血まみれになって大暴れするのもまた、死霊のはらわたっぽいギャグだ。
ラスト付近に登場する悪魔軍団は「ヴィー 死棺の呪い」に出てくるような百鬼夜行状態で、読んでいて非常に楽しい。水木しげる画伯の描く、ゲゲゲの鬼太郎とかのモブキャラとして出てくる適当妖怪軍団を想像してしまった。
彼らが吹き鳴らす、人間の死体で作ったバグパイプやドラムなどが非常に悪趣味。
…しかし拳銃で撃たれたり、斧で叩き殺されたりする悪魔軍団…あらら、見かけによらず案外ひ弱なんですねぇ(^^;)。
キャラの中では手品師の遺言を守って主人公と共闘する執事の悪魔ヴァレンティンが、個人的に非常に良いです。
「私は地獄よりもスワン(死んだ手品師)だけに仕えるものだ!」と叫んで同胞に立ち向かう姿は、まさしく悪魔の忠犬ハチ公、バーカー版のデビルマンと読んで差し支えないw
問題は主人公の過去で、どうも以前にも悪魔絡みの事件を手がけたことがあるらしく、しかもその事件解決に失敗して悪評を得てしまったという事情があるらしいのだが、そのあたりは仄めかされる程度に抑えられており、はっきりした記述がないためどうにも消化不良だ。
もっとハッキリとした説明を入れて欲しかった気もする。

*血の本
原語版では1巻のはじめにプロローグとして、また6巻の終わりにエピローグとして収録されていたものを一つにまとめたもの。
「血の本」の小説は、霊媒師の全身の皮膚に刻まれた傷が元だったという内容(そういえば昔こういう霊媒師、実際にいたよな)。
これはやはり、ちゃんと最初に乗せるべきエピソーであったと思う。
これを最初に読むのと読まないのでは、シリーズ全体に対する印象がまるで違ってくる。集英社の編集部はなぜこれを削除したのだろうか…色々事情はあったにせよ、もったいないことだった。
ちなみに、ここにもバーカー好みのショタコン少年が登場、まさかのおねショタ展開で読者を楽しませてくれます(^^;)。