2013-12-03 23:56 | カテゴリ:懐かしい話題
僕が住んでいる盛岡市の玄関口・盛岡駅が今日で123周年を迎えたそうです。

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今は東北新幹線の停車駅として、また県都にふさわしい立派な駅舎になっていますが、僕が子供の頃は今のような立派な建物ではなくて、建物は大きいけれども、なんか暗い感じだったのを思い出します。
駅正面向かって右側、今はフェザンという駅ビルのあるところが、だだっ広いお土産売り場になっていた記憶がありますね。
すごいみぞれの降る夜に、東京出張から戻ってきた父を母と二人で迎えに行った記憶があるなぁ…あれは幼稚園に入る前だったかな。
こんなことをよく覚えているものですね。幼少時の記憶ってバカに出来ないな。

あとは、盛岡駅と聞くと個人的に思い出すのは駅弁です。
八戸の名物駅弁に、「小唄鮨」という美味しい弁当があります。
酢で〆た鯖と紅鮭の薄い切り身を押し鮨にしたもので、富山のますのすしの親戚みたいなものですが、今は盛岡駅の駅弁売り場でも結構普通に並んでいる、そう珍しくない弁当です。
ただその当時は八戸からの列車が着く一日二回くらいのタイミングでしか売店に並ばなくて、幻の駅弁などとさえ言われたものでしたから、食べたい人はその時間めがけて弁当売場に並ばないといけませんでした。
僕の父がこの弁当が好きで、僕が育った町は盛岡駅からは大分離れている場所だったんですけど、父に連れられてその弁当を買いに行ったことをなんとなく覚えています。

駅前も、その当時は今から想像できないくらいにごちゃごちゃしていて、しかも駅舎の正面向かって左側には怪しい建物があり、その地下が「駅前地下」というポルノ映画館になってたりして(この建物はほんの7~8年くらい前まではまだありました)、駅の周辺なのにずいぶんなアングラ感がありましたね。

あと亡くなった祖母が良く話してくれましたが、大正はじめに東京駅で刺殺された盛岡出身の総理大臣・原敬の葬式の際、東京から特別列車で原の棺が運ばれてきました。
その際、原を慕う盛岡市民が大挙して押しかけ、駅前から菩提寺の大慈寺まで提灯行列を作って原のお棺を運んだのだそうです。
女学生だった祖母も提灯を持って、その列の最後のあたりを歩いた記憶があるそうでした。
これもなかなか珍しいお話ではないでしょうか。

盛岡駅が123年と聞いて、なんとなくそんなことを思い出すのでした。

そうそう、近々盛岡駅から花巻を経由し、確か遠野までSLが走ることになったんですよ(釜石までだったかしら)。
その車両基地が盛岡駅の西口方面に出来たのだとか。
列車好きの方はチェックを入れておいたほうがいいかも?

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