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Re:BAD TASTE♥

管理人が気ままに綴っていくお気楽ブログ。閑古鳥の巣。

ゆく年くる年

皆さんこんばんは。
ついにあと数時間で2016年が終わります。
本年中は当ブログにお越しいただきまして誠にありがとうございました。
来年も当ブログをよろしくお引き立ての程、お願い申し上げます。
来年はいかなる年になるのでしょうか。
国内情勢も世界情勢もなんだか雲行きが怪しい感じですが、まあよい年になることを今から信じておきましょう。
とりあえず、ブログの更新だけはマメにしていきたいと思いますので、よろしくお願いしますw
では皆様、良いお年をお迎えください。



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うっかりしてたよ

まだなにも記事を書いていないのに、うっかり変なキーを押して白紙のまま投降してしまった。
すいません(^^;)。
特に書くことがないんですけど、年末なので何か書かねば(強迫観念)。
よしこうなればどうでもいいことを書こう。

いささか下品な話になることを最初にお断りしておきます。

先日歯が抜けました。
実は長年虫歯の歯を放置していたんです(歯医者に行くお金をケチった)。
詰め物が取れて、歯の真ん中に穴がポコッと空いたのを放って置いたんですよね。
そうしたらそこが虫歯になったわけです。
歯の神経は抜いてあったんで別段痛くも痒くもなかったんですけど、さすがに大穴が空いているわけですから、そこに食べかすが詰まる(^^;)。
なのでマメに爪楊枝を使ったり、歯磨きをしていたりしていたつもりだったんですが、やっぱり磨き残しとかあったんでしょうね。
相当、虫歯が進行していたみたいです。
で、この前食後にいつものごとく爪楊枝を使ったんですが、そうしたら本当にスルッと抜けたw
あれっ?と思ったらポロッと口の中から真っ黒になった歯が出てきたのでかなりびっくりしました(^^;)。
根っこが腐って取れるっていうのは、どんだけ進行していたんだよと自分でも空恐ろしくなりましたよ。
今はもちろん歯欠け状態です。
別に痛くはないんですけど、やっぱりものが食べづらいし歯が磨きにくいので不便ですね。
そんなの当たり前か。
来年はお金をケチらずに歯医者へ行こうと固く心に誓ったのでした。

来年の抱負その1「歯医者へ通う」。



年末ですね

いよいよあと2日で2016年も終わりですね。
みなさんにとって今年はいかなる年になりましたでしょうか?

私にとってはほぼ最悪の年と言ってよかった気がします。
仕事面、金銭面、健康面など全てにおいて大きな問題があり、どうにもならない八方塞がりの年でした。
特に、夏に心臓疾患が見つかったのが大きかったかな。
いや、本当に今年が厄年だったのではないか?と思えるほどです。
さらには今年1年で親戚が3人も亡くなりました。
まあ、皆年寄りばかりですので仕方がないと言えばそうなのですが、流石に立て続けに3人というのはどうしたことなんですかね。
来年はこのように不幸なことがないように、平穏な一年になるように、今から神仏に祈りたいと思います。

そして、今年はあまりブログを更新できませんでした。
これは良くないことです。
体調が良くないことと、何よりも気分が乗らないというのが大きな原因なのですが、ブログの場所を借りているわけですから、定期的な更新を心がけないとといけないですね。
そしてせっかく頂いているコメントにお返事を着けずにいたことは、自分でも誠に遺憾です。
せっかくコメントをくださる方がいるのですから、礼には礼を持って返さねば。
来年は頑張って更新するように心がけます。
まだ2016年も2日ありますので、とりあえず2回ほど更新して今年を終えたいと思います(^^;)。

今日の出来事

またかなり放置してしまいまして申し訳ありません(^^;)。
いよいよ暮れも迫った師走ということで、今月に入ってから何かと忙しい毎日を過ごしております。
あと10日あまりで今年も終わりなのですね…。
それを思うと、やることは山ほどあるのに遅々として進まず、気持ちばかりが焦ってしまいます。

今日もよんどころない所用があって、車で秋田まで行ってきました。
ちなみに私の愛車だった「傷だらけのハート号」はあまりにオンボロ度が高くなってきましたので、10月末をもって廃車といたしました。
信じられますか、車体へ自然に穴が空いたんですよ(^^;)。
以前からサビが浮いてきたなというのは気づいていたんですが、そこが腐食してボロっと行ったのです。
ホンダの車は錆びるという話をよく聞いてましたが、まさか本当だとは…(^^;)。
今は、あ新しい自家用車を物色中なのですが、条件に合う車はなかなか見つかりません。
こまあそういうわけですので、父親の車を借りての運転となりました。

盛岡を出たときは概ね晴れておりましたが、仙岩峠(岩手と秋田の県境にある峠)を超えると天気がガラリと変わり、どんよりした曇り空に小雨がちらつく生憎の天気、しかも一面の雪景色です。
幸い除雪が行き届いており、路面には雪がなく凍っても折りませんでしたから助かりました。
ただ現時点では岩手にはほとんど雪がないのですが(気温が上がってみんな溶けてしまった)、さすが日本海側の豪雪地帯・秋田は違うものです。
庭木などに施す雪囲いも、秋田は杉板で周りを覆うのですね。盛岡ではコモを巻いたり、縄で雪吊りをしたりするのですが、こんなところからも雪の量が違う事がわかりまして、なんだか感心しました。

所用を済ませて(ガソリン代をかけて行っても、用事自体はすぐに終わってしまう辺りがなんだか悲しい)帰路に就いた際、1年ぶりくらいで角館に立ち寄ったのですが、大雪のためでしょうか、あれ程の観光地なのに観光客の姿が一つもなく、しかも殆どの商店が営業を休んでいるのです。
店を開けているのは大手の土産物店などのみで、こういう角館を見るのは初めてでしたので結構驚きました。
もう何度も訪れていて、今や勝手知ったる街ですが、ちょっと別世界めいた雰囲気に見えまして、走っていて不思議な気分になりました。

峠を越えるあたりで、長野の伯父の訃報が入りました。
歳が歳ですし、この1年ほどは寝たきりだったので、正直に言いますとあまり悲しいとは思いませんが、しかしながらいろいろと考えさせられることが多い伯父の人生でした。



チキンラー飯…

普段それほどテレビを見ないワタクシでありますが、先日たまたまテレビを見ておりますと、チキンラーメンのCMが流れておりました。
そのCMの中で、チキンラーメンを粉々にしたものをご飯に混ぜて炊いた「チキンラー飯」なるものが紹介されており、なかなか美味しそうに見えましたので、早速作ってみることにした次第であります。

まずはネットで作り方を調べましたところ至って簡単でありました。
米二合に同程度の水を炊飯器の釜に入れ、あとはチキンラーメン2袋分を粉々にして混ぜたらそれを普通に炊けばよいというもの。
ただワタクシが見たレシピは、以上の材料に鶏胸肉や油揚げや人参、しいたけ、こんにゃくを刻んで入れ、炊き込みご飯風にしたものでありまして、「電気釜に炊き込みご飯モードがあったらそれを使うと良い」などと申すことが書いてありました。

そこで、ああそんなものなのかと指示に従って炊き込みご飯モードで炊いてみたのですが、それがなんともまずかったらしく、炊き上がってみたらなんと米に芯が残っているのであります。
いわゆるメッコ飯」という状態でありまして、表面はともかく中はほぼ生米状態で実に美味しくない(^^;)。

とはいえ味自体はレシピに書かれていたように、チキンラーメンの塩気とスープがご飯に染み込んでいてすこぶるよろしく、噂通りの美味しさなのでありますが、如何せん飯がメッコでは…。
いや、捨てるわけにも行きませんし何よりももったいないので、食べましたけど。
おかげでなんだか胃が痛いですw
いやまだ残ってるんですけど…(^^;)。
明日も食べねば。

次回はもっと水加減を多くするか、炊き込みご飯モードではなく白米モードで炊いてリベンジを図りたいと思います!!

雪が降りました

12月もはや10日を迎えようとしていますね。
1週間前に12月になった際、年賀状作りやら色々とやらなきゃならないことがたくさんあると思ったんですが、ぼやぼやしている間に時間が過ぎてしまいました。
気のせいでしょうがw、なんとも早いもののように感じます(^^;)。

昨晩遅くから雪が降りまして、朝起きてみたら一面の銀世界に代わっていました。
7センチばかり積もったようです。
7センチ…と聞いて、「たったそれくらいなのか、大したことがないな」などと皆さんはお思いになられるかもしれませんが、実際に見てみると結構な量になりますので驚くでしょう。
ただ幸いなことに、外気温は日中でまだプラスなので凍ることはなく、本日は天気もよろしかったゆえにかなり溶けまして、根雪にはならないようです。
ただ週間天気予報をチェックすると今夜、あるいは来週にも雪が降る日があるようで、気温もぐっと下がるみたいです。
そうなったらついに盛岡も雪景色定着といったところですね。
毎年同じようなことを書いてますが、雪に泣かされることが多いので、本当に雪のない国へ移住したいものです(^^;)。

奥南落穂集(意訳)19(完)

「奥南落穂集」の意訳は今回で終了します。
全19回のお付き合いありがとうございました。

自分でも、訳しながら色々と調べてみましたが、明らかな誤伝や初歩的な記載ミス等も散見され、また話の整合性のつかない部分なども多く、原本作者もかなり記憶の取り違えや資料の読み間違えをして書いていることがわかります。
従って、文書の正確性には限りない疑問符がつきますが、それでも戦国時代の北東北に割拠し、領地争いに鎬を削っていた豪族たちがどのような人生を辿り、如何様な末路を迎えたのかその興亡をを垣間見ることはできようかと思います。

東北の大名は、全国的に有名で人気のある「伊達政宗」だけではないのです。
作者不詳のこの文書に書かれているような、無名の…あるいは比較的地味な人々も生きていたということを忘れないでいてあげて下さい。



奥南落穂集(意訳)19
大崎左衛門督義隆のこと

 斯波尾張守源高継の弟・斯波伊予守家継または家兼という人は、足利に連なる一族で征夷大将軍・足利尊氏に仕えて軍功を挙げた。それによって奥州探題職に任じられ、貞和年中(1345~1349)に奥州へ下向した。陸前国加美郡の名生城に住んだが、その周辺が大崎郷という地名であるのにちなみ大崎氏と改姓した。奥州には南朝方の豪族が多く割拠していたが、それを武威をもって討ち従え、あるいは親和するなどして従え、ことごとくを北朝に服従せしめた。

 二代目は大崎治部大輔直持が家督し、その弟・修理大夫兼頼は出羽按擦使となって、羽州最上山形城に住して最上氏の祖となった。直持から四代目の大崎左京大夫持兼は、次男の左衛門佐教兼を明応元年(1492)に陸中国志和郡へ下らせて高清水城に住まわせ、持兼は志田・栗原・遠田・玉造・加美・黒川の六郡を領した。

 その三代目は大崎彦三郎高兼といったが、病弱である上、家内に不正があったため、郎党は離反し臣下のものは叛いた。岩手山城に拠点を移したものの、大崎氏の武威は大いに衰えることとなった。永禄三年(1561)にまだ若くして亡くなった。
 その息子・彦太郎が家督して大崎左京大夫義直と名乗り、中新田城に移住して元亀二年(1571)将軍・足利義昭に駿馬を献じ、返礼として鷹と鐙一領を拝領した。天正五年(1577)に亡くなった。 

 その息子・龍王丸が家督を継いで、大崎左衛門督義隆と名乗って小野田城に拠点を移したが、すぐに名生城に移住し、同十五年(1587)長身である新田刑部少輔と伊庭七郎の両人が家内での権威を争い、それぞれに兵を集めて戦争するに及んで大崎領内は大いに乱れ、主君はあってなきものになった。同十八年(1890)に至って豊臣秀吉の小田原の陣に参礼しなかったことを咎められて領地は没収され、浪人となって京都千本通に住み、蒲生氏郷の扶助を得て生活した。氏郷が亡くなった後は、上杉景勝の家臣となった。

 義隆の息子は右京亮義成といい、没落後は最上義光の扶助を得て千石を給せられた。文禄年中(1593~1596)に亡くなった。義成の息子・大崎源三郎義久は三戸を来訪して南部信直に仕え、慶長元年(1596)に二百石を給せられたが、同四年(1599)家禄を返上して南部家を去り、伊達政宗に仕えた。
 義隆の次男・大崎七兵衛義名は没落後は最上へ行き、慶長八年(1604)に南部利直に仕え百十石を給せられた。七兵衛の子は大三郎といったが早世した。次男の甚太郎義世も早世し、家名は断絶となった。
 また、義隆の三男・大崎庄三郎義辰は蒲生氏郷に仕えて二千二百石を給せられたが、後に去って上杉景勝に仕え臣下となった。

<臣下のもので南部家に召し抱えられた人々>

石川越前隆定    (重臣で一万八千石を領した。石川内膳正隆持の息子。天正十五年の乱では新田方に一味して、十八年{1590}に没落した。信直に仕えて三百石。岩崎一揆・大坂の陣に従軍し、寛永十二年{1636}に死んだ)
石川久膳屋高    (越前の子)
石川助右衛門高貞  (久膳の子。通称は半十郎といった)
石川金十郎高春   (隆定の次男。十駄二人扶持)
葛岡三十郎義和   (旧臣。監物義忠の子。利直に仕えて二百石)
葛岡治右衛門義徳  (三十郎の子。二百石)
葛岡主鈴      (治右衛門の子。早世し、家名断絶となる)
矢口采女次親    (旧臣。浪人後は大崎右京亮義成の娘・於満の方を連れ、儀俄氏に託した後辞去して最上家に仕えた)
矢口庄左衛門正影  (采女の子。重直に仕え九駄二人扶持)
欠口吉左衛門次有  (庄左衛門の子。家禄没収になり、その後は御徒となる)
矢口庄左衛門次影  (吉左衛門の子)


奥南落穂集(意訳)18

奥南落穂集(意訳)18
葛西正兵衛晴勝のこと

 葛西壱岐守平清重は、右大将・源頼朝に仕えて多くの軍功を挙げた。文治五年(1190)頼朝の奥州征伐により藤原泰衡が滅亡すると、同六年(1191)清重は奥州奉行に任じられ、陸奥国登米郡登米城に下向した。桃生・牡鹿・本吉・登米・磐井・気仙・江刺の七郡を領地として、国人たちはこぞって服従した。

 清重には男子が八人もあったが、次男である伯耆守清親が二代目を、その三男・伊予守朝清が三代目を継ぎ、桃生郡石巻城に住して、その子孫は七代目に至って一門のものが多く繁栄した。彼らは領内各所に住んで、登米城の葛西判官三郎兵衛重政は、南朝方の北畠顕家に属し、新田義貞に従軍して戦った。
 貞和年中(1345~1349)になると、征夷大将軍・足利尊氏の一族にあたる斯波伊予守家経が奥州探題職に任命されて陸奥国へ下向し、陸前国加美郡名生城に住み着き、大崎氏を称した。これにより国人たちの大半は大崎氏に服従し、北朝方に属するものが多くなった。このとき、葛西家の八代目・兵庫助忠延は大崎家と和親してその縁族となったので争いは起きず、近郷は平和であった。
 応仁(1467~1468)の頃から諸国で騒乱が起きはじめ、豪族たちが互いに領地を争い合うようになって、世情は穏やかならぬものとなった。葛西一族の家臣たちもみな一家をなして独立したため、葛西宗家は大いに衰えた。

 忠延から八代日の子孫・葛西壱岐守晴信は、初名を三郎相模守といった。天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原の陣へ参礼しなかったために没落し、浪人となって各地に身を潜めつつ流浪したが、文禄(1592~1596)中に亡くなった。
 その息子(注・名前は脱落している)は伊達政宗に仕えたという。また、別の息子・葛西正兵衛晴勝は初名を庄次郎といい、父親とともに流浪して遠野へ身を潜め、慶長六年(1601)三戸を来訪し、南部利直に謁見してその客分となり、七百石を給せられたが、同十五年(1610)には五百石に改められて臣下となった。

 その息子・正兵衛晴易は寛文二年(1662)に亡くなった。その息子・正兵衛晴綱も三百石を給せられ南部の家臣となったが、晴勝の二男・平三郎晴連は一生を浪人のままで終わった。
 その子・平左衛門晴宗は南部重信より二人扶持を給せられ、勤務に努力したため加増されて御用人に取り立てられ三百石となった。晴易の次男・市右衛門晴興は重信の代に百五十石を給せられた。
 南部の葛西一族は五家を成したが、その他にも一族は諸国に多くあるそうだ。
 江刺氏はもともとこの家の長臣であり、永正(1504~1520)の頃は主家よりも威勢があった。それについては別に伝を立てて詳細を記している。

<一族并びに臣下のもので南部家に召し抱えられた人々>

浜田彦兵衛清春  (葛西一族。浜田阿波守重正の息子。 没落後は閉伊郡に潜伏し、信直に仕えて七百石。大槌城代。寛永十六年{1651}に亡くなった)
濱田彦兵衛清昌    (清春の子。三百石となり、花巻に住む)
濱田大隔清周     (清昌の子。寛文三年{1663}に百五十石となる)
濱田甚五兵衛清秀   (大隅の子。盛岡に移り、百六十三石)
勝又右馬允清辰    (葛西支族。天正十八年{1590}主家の没落により浪人する。花巻を来訪し、慶長十一年{1606}利直に仕えて二百石を給せられた)
勝又藤左衛門清綏   (右馬允の子)
勝又六之丞清勝    (藤左衛門の子)
勝又伊兵衛偕昌    右馬允二男左内 二駄二人
名須川茂左衛門義照  (旧臣。名須川城主・名須川玄蕃の四男。主家の没落により浪人する。花巻に来て住み着いた。寛文十年{1671}重信の代に新田へ五十石を給せられた。花巻与力)
名須川茂次右衛門義勝 (茂左衛門の子)
名須川小兵衛義徳   (茂次右衛門の子)
名須川吉左衛門義正  (茂左衛門の次男。新田へ四十八石を給せられた)
布佐七右衛門常之   (旧臣。浪人。花巻に来て、石井伊賀守に仕えた)
布佐新右衛門常行   (七右衛門の子。浪人)
小野寺山三郎常久   (新右衛門の子。重信より五駄二人扶持を給せられた)

ついに12月

今日からついに12月となりました。
2016年も残すところはあと1ヶ月ですか…。
過ぎてみれば随分早いもののように思います。

思い返してみると、今年は僕にとってトラブル続きの酷い年となりました。
いや、この1ヶ月でまだトラブルが続いていくのですけど…(^^;)。
まったくやれやれですが、早く年が明けて、新しい気持ちでスタートを切りたい気分です。

しかし年賀状とか描かなければいけない季節なんですねえ。
全く煩わしい…もうまごころのこもらない年賀状とかお歳暮とかやめたらどうかなと思うんですけど(^^;)。
本当にあげたい人だけにあげるということでいいようにも思います。


奥南落穂集(意訳)17

奥南落穂集(意訳)17
柏山伊勢守明助のこと

 柏山氏は千葉介平常胤の子孫で、陸奥国胆沢郡の領主であった。源頼朝より地頭職を給わったとも、足利将軍の時に下向してきたとも言うが、詳細は不明である。大森城(注・大林城の誤り)を居城としたが、永正(1504~1520)の頃より衰えはじめ、江刺家の旗下となり天正十八年(1590)になって没落した。

 当主の柏山伊勢守明助は浪人となり、慶長三年(1599)に南部利直へ仕え、千石を給せられた。花巻に住して北松斎に従い、番頭(注・バントウではなく、バンガシラと読む。今でいう上級将校クラスの戦闘指揮官)を務める。岩崎の和賀氏が没落した後に岩崎城代となり、岩崎に居住し、寛永元年(1624)に亡くなった。

 死後は嫡男の半太郎明定が家督を継いだが、寛永二年(1625)になって亡くなった。子供がなかったため、弟の平左衛門明信が家督を継ぎ、江戸勤番を命じられたが、寛永四年(1627)に二十五歳の若さで亡くなった。その息子の兵蔵明通が家督したが、幼少の上に病弱で、同四年(1627)十二月に亡くなり、後を継ぐものがなく家禄は没収、家名断絶となった。

 伊勢守明助の弟の柏山九郎兵衛明知は、兄とともに花巻へ移住したが、慶長五年(1600)、岩崎一揆の際に討死した。同じく弟の柏山弥三郎明範は兄と同じく利直に仕えて百石を給わる。その息子の柏山仁左衛門明忠は寛永六年(1629)に亡くなり、子供がなかったため家名断絶、家禄没収となる。これによって柏山一族は完全に断絶した。遺骸は岩崎村(注・記載欠落)に葬った。

<一族並びに家臣の者で南部家へ召抱られた人々>

折居嘉兵衛明宗    (支族。伊勢守と同じく利直に仕えて五十石。岩崎一揆の鎮圧に功績があり、岩崎に住むようになった。万治二年{1659}八十二歳で亡くなった。柏山一族の祭祀はこの家で執り行った)
折居三九郎明吉    (嘉兵衛の子。慶安八年{注・慶安の元号は五年までしか使用されていないため、何年を指すのか不明}八駄で召し抱えられる)
折居嘉兵衛明次    (三九郎の子)
柏葉甚兵衛常永    (支族。主家の没落後、慶長二年{1598}に花巻に来て身を隠すが、後に伊勢守に従った)
柏葉安右衛門常行   (甚兵衛の子。重直の代になって新田に五十石を給せられる)
柏葉長九郎常房    (安右衛門の子。通称を安右衛門と言った)
柏葉安右衛門常令   (長九郎の子。五十八石)
三田将監義勝     (柏山の旧臣。浪人して鬼柳に住んだ)
三田玄蕃義則     (将監の子。浪人)
三田十郎左衛門義正  (玄蕃の子。重信の代に新田へ五十石を給せられ、与力となる)
及川武蔵恒明     (江刺家の家臣・下河原玄蕃の子)


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新田佳奈

Author:新田佳奈
ハンドルネーム:BAD
別名「新田佳奈」。
「にったかな」、ではなく「しんだかな」と読んでください。
岩手県盛岡市在住。

一次創作でイラストや小説を作っています。
最近はIllusionのHゲーム「ハニーセレクト」でキャラクターを作ったり、スクリーンショットを撮って遊ぶことが多いです。
ただし大したものは撮れませんが…(^^;)。

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