2016-02-16 03:33 | カテゴリ:雑記その他
心の友H氏にTwitterで教えて頂いたのですが、こういう事件があったそうです。

----引用ここから----

<劇団員の腹部に模造刀が刺さり死亡>

15日正午ごろ、東京都台東区日本堤2丁目の区立施設で、舞台の稽古中に男性の腹部に模造刀のようなものが刺さった、と119番通報があった。警視庁によると、男性は、役者の菓子野大悟さん(33)=国立市富士見台4丁目=で、刃渡り約73センチの模造刀が刺さり、搬送先の病院で死亡が確認された。

 浅草署によると、菓子野さんは施設内の「たなかスポーツプラザ」で、都内の劇団の劇団員らと殺陣の稽古中だった。署が経緯を調べている。

----引用ここまで----

まずは、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

情報が少ない記事なので、どういう状況で事故が起こったのかがいまいちわかりにくいのですが、疑問なのはなぜ模造刀で殺陣の稽古なんてやったんでしょうか?
殺陣の稽古って、おそらく一対多数入り乱れての稽古が多いと思います。
もちろんタイマン勝負のものもあるでしょうが、いずれにしろ、敵味方入り乱れる中、自分と相手との距離を一瞬で掴まねばならないし、体捌きもしっかりこなさなければ相手に「斬られて」しまう。
もちろん、その呼吸を学ぶために稽古するわけですが、剣術や居合の稽古とはまた違った、いわば撃剣稽古(剣道)的な難しさや苦労があるはずです。
そして限りなく動的であるだけに、比較的静的な居合や剣術の稽古などよりも、より危険といえる。
無論、そこにやりがいや楽しさがあるわけですが。
そのような激しい動きや俊敏な呼吸が必要なものの稽古に、なぜ模造刀などを使ったのか?
普通は竹光だって使わないはずです。
一般的な殺陣の稽古なら、鞘入りの木刀や竹刀でやるものだと思うのですが…。
その辺が甚だ疑問です。

かなり昔に、映画「座頭市」の撮影中、故・勝新太郎の息子のなんとかいう俳優さんが、殺陣の撮影中に迫力を出すため本身の刀を使ったところ、誤ってスタントマンの首に刺さり、殺害してしまったという凄惨な事故がありました。
時代劇の撮影ではもちろんこんなことはあってはならない事故なわけですが、この場合は使ったのが真剣でした。
今回の事故は模造刀です。
ええーっ、模造刀って偽物でしょ、偽物でこんな事故が起こるの?
そんなことを思われる方もおられましょうが、実際に事故は起こるんです(まあ起こったので、この方は亡くなってしまったわけですが…)。
模造刀と言ってもピンキリで、刀が安っぽいジュラルミンで拵えはプラスチックで作られているような5千円くらいの安物から、刀身は超合金製で拵えにも本物の素材を使っている超高級品まで(ほんとうに真剣と同じくらいの値段がするので驚く)ありますが、いずれにしても危険なものに違いはありません。
いや、場合によっては竹光でも危ないことがあるでしょう。
なぜでしょうか?
いうまでもなく、それが刀だからです。

刀というのは、今では美術品扱いをされておりますけれども、キレイ事をいくら並べたところで所詮は武器であり、人を殺すための道具です。
日本人はあくまでも「武器」として長い時間をかけて刀を研究し、言ってみれば究極の刃物として完成させた。
ですから刀の形状はものを切断するという面において、非常に合理的にできている「武器」なんです。

昔、インドのムガル朝時代に使用された武器の威力を試す海外制作のドキュメンタリーを見たことがありますが、その中でインドの湾刀が登場しました。
その切れ味を確かめるために羊の脚を斬る実験を行ったのですが、同じそりのある剣でも刀とは違い、向こうは物を切断するというよりも、叩き切るというイメージのほうが近く、半ばまで切れた羊の脚は肉がグシャグシャで、骨が割れて骨髄が見えていました。
術者も刀のように斬る、という動作ではなく斧のような使い方をしているように見えましたので、それが正しい使用法なのかどうかはわかりませんが、いずれにしろ、切れ味という面においてはあまりいい印象はありませんでした。

僕は抜刀道を学んでいた若いころ、刀で色々なものを斬ってみましたが、インドの湾刀とは扱い方が根本的に違うとはいえ、刀はとにかくよく切れました。
巻藁だの竹だのに飽きたらず、土壇を作り、そこに仲間で金を出し合って肉屋から買ってきた豚の脚を置いて斬ったこともありますが、刃筋が決まれば手応えもなく一刀両断にし、土壇にまで切り込みます。
切り口は骨もろとも本当にすべすべで、驚くほどでした(後で切り分けて持って帰りましたが、普通に食べられましたよ)。
剣術の心得をお持ちの小説家の方がエッセイの中で

「日本刀の切れ味は魔力そのものだ」

と書かれていましたが、まさしくその通りと思いました。

刀はこのようによく切れる「武器」だからこそ価値があるものです。
だからこそ、昔の人は美しさや格好の良さばかりでなく「危険」な部分にも神性や美しさを見いだしたわけです。
そういうものを模っている以上はたとえ本身ではなくても、模造刀だろうが竹光だろうが、危険なものなんですよ。
形状的に、切れるようにあるいは刺さるようにできている。
だって、偽物には刃がついていないだろう、そんなものが危険といえるのか?
…と思われる方もおられると思いますが、僕は抜刀時代、普通に売られているそこそこ高級な居合刀(合金製の刀身で、刃は薄いが鋭くはない)で、巻藁を半ば切断した人を知っていますよ。
それに、切先が鋭く尖っているわけですから、普通に刺さります。
模造刀でも十分武器になり得る可能性があるということです。
そういうものである以上は、これは武器なんだ、という緊張感を常に持ったうえで扱わねばならない。
その緊張感があれば、絶対に殺陣の稽古なんかで模造刀なんて使うはずがないんですよ。
この劇団には、おそらくその緊張感とか、刀に対する認識が欠けていた、言い換えれば安全管理の意識が希薄であったのだと思います。
それとも、刀を扱っている俺かっけぇ、とかいう気分に浸りたかったのでしょうか?
いずれにせよ、亡くなった方にはいささか申し訳なくも厳しいことを書きますが、そういう人たちには刀を扱い、殺陣なんてやる資格はないです。

とはいえ、刀が身近なものでなくなって長い時間が経ったわけで(太平洋戦争以前までは、刀というものは意外に身近だった)、刀を理解できる日本人の数が減ったというのはある意味もっともなことです。
けれども逆に言えば、それがこの手の事故の根本原因だとも思います。

座頭市の事故の場合は、それを知り抜いている人たちの中で起きたものなので少々不思議に思いますが、この場合は刀に対する「慣れ」とか、俳優サイドから本身を使いたい旨の意見の押し付けなどがあったのではないでしょうか。
僕が尊敬する試斬の大剛・中村泰三郎先生は、著作の中で

「慣れが一番怖い。慣れたと思って油断すると、必ず怪我をする。常に気を引き締めておかねばならない」

と書かれていますが、まさしくそれだと思います。

刀なんてのは、普通に生活する人たちの中にはなくて当たり前のものです。
刀剣や骨董に興味が無い人たちには一生縁がないでしょうし、ないからといってどうなるわけでもない。
無ければ無いでべつに構わない、どうでもよいものです。
ですが、もし刀に興味を持ち、またそれに類似したものを扱うのであれば、まず刀というものが美術品である前に武器なんだということを学び、それをずっと忘れてはならない。
うかつに触れば自分も怪我をするし、相手を傷つけることになるということを忘れないで下さい。
それを肝に銘じ、気軽に粗雑に扱えば、殺陣にかぎらず今回のような大事故につながりかねないと思います。

関連記事
スポンサーサイト

管理者のみに表示する

トラックバックURL
→http://newbadtaste.blog.fc2.com/tb.php/1086-d398f04f