2016-05-20 17:50 | カテゴリ:懐かしい話題
 つい先日のことです。
 骨法の堀辺正史氏が昨年末に亡くなられていた由、ネットサーフィンで偶然知りました。
 死去がマスコミに公表されたのは今年の3月、葬儀一切はご家族の意向で近親者の方のみで行ったとのこと。享年は74歳だったそうです。
 最近は小林よしのり(僕はこの人があまり好きではありません。思想はともかくとして)なんかと対談したり意見交換をしておられるのを雑誌で読んでおりましたが、写真を見るに以前と比べてずいぶん痩せられ、そして対談の中で心臓の手術をされた旨話してもおられたため、お年を召されたので無理も無いことだと思ってはいましたが、まさか突然亡くなるとは思いもよらないことでしたので、存外な驚きでありました。
 ネットでポツポツ見られる追悼記事によれば、亡くなる前日は普段通りの生活をされ、その夜就寝したまま亡くなったようです。このような言い方になってしまい何ですが、良い亡くなり方でしたね。病気で苦しんだ挙句、家族や知人に迷惑をかけて亡くなるよりもずっとマシでしょう。
 もちろん堀辺氏と僕は一面識もありませんが、少年時代に堀辺氏の著作に出会い、「骨法」という格闘技に様々な影響を受けた直撃世代の人間としましては、多少なりの悲しさと寂しさを禁じ得ません。
 まずは堀辺正史氏のご冥福をお祈りしたいと思います。…合掌。

 以降は僕が骨法について思うところを書きます。
 長文の上いささか的外れな意見もあるかと思いますが、そこは個人的見解ということでご容赦下さい。

 まずは「骨法」って一体何だったんだろうと考えてみました。
 堀辺氏は骨法を
「奈良時代から堀辺家に一子相伝で伝えられた古武道を、自分が他流試合を重ねる中で現代風にアレンジし、実践的に構成しなおした現代武道」
…というようなことを著作に書いておられました。
 実際に、「骨法」と名のつく古武道は数多く存在します。
 また、一子相伝とまではいかなくとも、公に名乗りを上げず、近親者や数少ない門人にのみ伝統を受け継いでいる古武道の流派もあると聞きます。以前、僕が住んでいる岩手県の紫波郡というところにも、古流骨法が人知れず残っているという話を聞いたことがあり(真偽の程は定かではありません)、度肝を抜かれる思いをしたものでした。
 ならば堀辺氏の骨法履歴は本物なのか?といえば、おそらく違うと思います。

 手元にある堀辺氏の著作やビデオによる骨法の色々な技術…近間での掌打や蹴り、敵の手足を絡めて関節を極め、あるいは倒すなどの業を見る限り、その動きは日本の伝統的な古武道というよりも中国拳法、それも南派少林拳の一流派「詠春拳」に酷似したものとわかります。
 堀辺氏の肩書を読むと、「中華民国台北県国術会顧問」という一文があります。コレが事実とするなら、堀辺氏はおそらく台湾で詠春拳を学ばれたのでしょう。
 「喧嘩芸骨法」はその詠春拳に、堀辺氏が学ばれていたという大東流合気柔術や武田流中村派合気道などの武道に伝えられる立ち関節技や投げ、一部の蹴り技などを加えたものと考えればしっくりきます。
 いわば複合流派で、新興のミックス格闘技というわけですね。
 堀辺氏が骨法を発表された1986年前後は、現在と違ってインターネットなんて便利なものはありませんでした。
 なので骨法に疑義を挟む人も情報の少なさゆえにまた少数派で、僕も含めた多くの人が堀辺氏にコロリと騙されちゃったわけですが、情報が湯水のように溢れている現在においては、まったく通用しない「ハッタリ」です。言い方は悪いですが、化けの皮はすぐ剥がれます。

 僕は堀辺氏が、喧嘩芸骨法が詠春拳の亜流であると隠してまで、そうしたハッタリをかます必要はなかったと思います。
 詠春拳はもともと、胸ぐらのつかみ合いから始まる喧嘩において実戦的だと言われている拳法ですし、これを学んだブルース・リーがフィリピンの武道をミックスして「ジークンドー」を創始したことは非常に有名です。
 ですから堀辺氏もこれに倣い、
「この武道は私が詠春拳に着想を得て創始した現代武道です」
 と最初から言えばよかっただけのことです。
 もっともその場合、一子相伝云々などという神秘性は失われるので、骨法がここまで注目され、有名になることもなかったでしょうが(そもそもその場合骨法なんて名前にはなっていなかったでしょう)。
 そうしていれば、現在ネットで散見されるような「詐欺」「インチキ武道」「カルト武道」などという揶揄や批判を受けずともすんだのではないでしょうか。
 ただ、堀辺氏はこの骨法を喧嘩芸と名付ける前は、吉丸慶雪氏という合気道家と組んで「換骨拳法」という名前で売り出していたらしいので、前言を翻すには引っ込みがつかなかったということ、そしておそらく経済的理由で門弟が欲しかったということもあるのではないでしょうか。

 次に骨法の迷走がどこから始まったのかと考えてみました。
 これはやはり、1990年代になって日本へ輸入されてきたグレイシー柔術をはじめとするブラジリアン柔術の台頭と、いわゆる「なんでもあり」のバーリ・トゥードを肯定しはじめた辺りからでしょう。
 しかもただ肯定するどころか、堀辺氏は何を思ったか喧嘩芸で培ったものをあっさり捨てて、寝技が主体の「日本武道傅骨法」に技術体系も武術論理も宗旨変えしてしまいました。
 やはりコレが致命的だったように思います。
 週刊プロレスとか格闘技通信などの雑誌に、堀辺氏が連載されていた武道論なんかはなかなか面白く、なるほどもっともだと感じられる部分もあったものの、だからといって自らが積み上げてきたものをおジャンにしてどうするのでしょうか。
 あそこでグレイシーは黒船だとか言わないで、多くの武道家と同じように、
「グレイシー柔術は武道ではない!」
とか言って否定して、骨法はずっと喧嘩芸のままで業を磨いていけばよかった気がします。
 そうすれば現状のような迷走をせずに済み、現在とはもっと違ったものになっていたことでしょう。
 ただ堀辺氏は武道家としてよりもむしろ「論客」「思想家」として優秀な方だったらしいので、それまでは「路上の格闘技」「実践的」を追求してきたとする持論を証明し、武道界における自分のポジションを強固なものとするためにも、対応せざるを得なかったのかもしれません。
 いずれ、堀辺氏が「黒船」だなどと主張していたブラジリアン柔術と何でもありの試合によって、骨法はまさしく明治維新の江戸幕府のように倒れてしまったわけですから、これ以上の皮肉はないでしょう。

 最後に、堀辺氏は実際に強かったのかという点を考えてみます。
 ネットの掲示板などでは、「堀辺氏はインチキ武道家なので弱かった」というのがほぼ定説になっていますが、それはどんなものでしょうか。
 僕はある程度の強さを身につけていたのではないかと思います。
 もちろん実際に堀辺氏とお会いしたことはないですから、ビデオなどの映像で観察(?)する他ないのではっきりしたことはいえませんが。
 一流の武道家だとか、喧嘩にめっぽう強いとかいうわけでは決してなかったでしょうけれども、それなりの実力は備わっていた気がします。
 ビデオで見た限りですが、運足や立ち関節技への入り方などはそれなりに綺麗でしたし、一連の動作からはちゃんと稽古を積んでいないとできない「慣れ」のようなものが感じられました。
 大体、台湾の国術会の顧問をしているくらいですから、少なくとも中国拳法の腕はそれなりだったでしょうし、またそうでなければ、曲がりなりにもあれだけの数の弟子、特に骨法の第一世代の弟子である廣戸氏(現在はスポーツトレーナーとして活躍されているそうです)などの優秀な弟子は集まってこなかったでしょう。
 まあ自伝に書かれている他流試合とか左翼だか右翼だかの内ゲバが云々というのは、明らかなハッタリだと思いますし、某掲示板で指摘された体幹がぶれているとか、動きに柔軟性が感じられないなどといった部分は確かにその通りだと思います(^^;)。
 有名な「徹し」は、澤井健一氏の太気拳から盗んできたものだとかいう主張をする人が多いようですが、自分がやるにしろ、澤井氏のところへ弟子を潜りこませて盗んでこさせたにしろ、少し練習したから、あるいは見てきた程度の練度で再現するのは難しいはずです。
 徹しは殺人的な威力があるとずいぶん誇張されていますが、アレは中国拳法なんかではよくある突きで(纏絲勁、浸透勁などと数種類あり、沖縄唐手では裏当てという似たような技があると言われます)、たしか詠春拳でもワンインチパンチとか言われているものがあるはずですし(すみません、名前はど忘れしました)、堀辺氏もそれをただ単に習得されていただけなのではないかと思います。
 それを骨法を立ち上げる際、「徹し」などと名づけて見栄とハッタリを張っていたのでしょう。
 
 堀辺氏最大の欠点は、嘘がバレたことでも、ご自身の実力がそれほど高くなかったということでもなく、自分の継承者になれるような優秀な弟子を育てられなかったことに尽きると思います。
 どういう事情があったかはわかりませんが、非常に優秀な弟子であったとされ師範代でもあったという廣戸氏などの第一世代の門人が大量離脱し、残された第二世代の弟子はまだ技術が未熟なまま師範代になった上、陰険なイジメ行為で後輩をいたぶるなど人格まったくなっていなかったと聞きます。
 技術が未熟というだけならいいのです。堀辺氏が丁寧な指導を行い、皆で同じ稽古をしていけばいいだけです(とはいえ、途中で技術の大転換をしてしまったのですから稽古のしようもなかったでしょうが)。
 問題は、内弟子や通い弟子の間にいじめがあったとされる部分です。
 堀辺氏自身はそうしたことに口出しを一切しなかった(見て見ぬふりをしていた?)といいますが、これが氏の武道家としてまったくダメな部分と思います。
 人の上に立つ武道家は、弟子を育てることでより強くなれます。
 弟子への技術指導や人格指導を行うことで、自らの欠点に気づき、それと向き合い、改善し、技術的にも精神的にも成長できるものといいます。少なくとも、僕が昔学んだ古武道の先生はそのようなことを言っていました。
 これがまったく出来なかった堀辺氏は、武道家として二流三流と言わざるを得ません。
 もしいじめが本当のことであって、ご自身がそれを知っていたなら見て見ぬふりなどせず、そんなことはやめろ、人間として恥ずべきことだときつく言い聞かせるべきでした。
 それが人望を得て人を集め、ひいては流派を発展させて、より良い弟子を育てることにも繋がるのです。
 それをしなかったおかげで骨法は名のある優秀な弟子が育たず、理論的にも技術的にも二転三転迷走し、最初は喧嘩芸から始まったものが、いつのまにやら短刀を使用したナイフ術に変貌してしまいました。
 
 堀辺氏は、確かに自称するような、あるいは80年代末期~90年代にかけてプロレスや格闘技に一大ムーブメントを巻き起こしたような優秀で神秘的な武道家ではなかったでしょうし、作り上げた骨法も他流派の寄せ集めであり、古武道ですらなく、技術も迷走し通しというものではありましたが、非常に個性的で、しかも頭脳明晰(論客としては)、独特のカリスマ性を備えた異彩を放つ人物でした。
 一種の「怪人」と言ってもいい人だったと思います(この場合は褒め言葉です)。
 言ってみれば、極真空手の大山倍達氏と同じようなものです。大言壮語癖があり、どんぶり勘定で、いい加減で、それでいて人を強く惹きつける人間的な魅力を持った、色々な意味で個性的な人でした。
 ただ大山氏が優秀な弟子を何人も育て、極真空手を大流派として後世に残したのとは対照的に、堀辺氏の骨法は優秀な弟子を育てられぬまま、近い将来武道界の徒花のひとつとして消えていくでしょう。
 その辺りが唯一にして最大の違いと言えそうです。

 いずれにしろ、面白い人がまた一人この世を去りました。
 昔のあのブームと熱気を知る者にとっては、なんとも寂しい限りです。

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