2016-11-04 11:41 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)4
「稗貫家の次第」

 中納言・藤原山陰の十一代目の子孫に足立民部丞兼盛という人がいた。その次男の外嶋山城守信家という人は、武蔵国の足立郡に住んでいた。子が無かったため、実弟の足立右衛門尉遠助の息子・鈴木次郎広家を養子として家督を譲った。
 広家は源頼朝に仕え、文治五年(1190)の奥州征伐で軍功を挙げ、稗貫郡の地頭職に任じられた。これをもって地名を姓とし、代々稗貫氏を称した。

 その六代目の子孫・稗貫兵部少輔貞広は南朝方の新田義貞の部下となって戦い、その息子・太郎俊行は北畠顕家に従軍して軍功を挙げた。
 それから三代目の子孫・大和守広隆は武勇の士で、武名は隣郡にまで知られた。その五代目は大和守家起といい、はじめは孫太郎武重と名乗っていた。天正三年(1575)の三月に亡くなった。

 その後を継いだ孫次郎家法は別名を広忠といい、実は和賀氏の二男で養子であった。暗愚な性格の上に家臣を軽んじて厚遇しなかったので、家来たちは皆、彼に服さなかった。
 さて、天正十八年(1590)豊臣秀吉が小田原征伐のため東国へ下向した際、稗貫家はこれに参礼しなかった。やがて無礼な輩を征伐するとして大軍を率いた豊臣秀次が奥州に下向してくるとの噂を聞いた家法は非常に驚き、花巻の十八ヶ崎城から夜陰に乗じて逃走し、稗貫川上流域の山中に身を隠して、翌年の天正十九年(1591)そのままそこで死んだ。
 家法の妻や妾、家族は皆離散して、花巻城は空城となった。このとき稗貫郡には浅野長政が下向していたがその話を聞き、家臣の浅野庄左衛門を城代に任じて花巻城へ入れた。

<稗貫一族諸臣>

稗貫靭負佐本隆    (家起の叔父で、五郎入道の子)
瀬川五郎左衛門本矩  (本隆の子。浪人。政直に仕えて五十石)
瀬川右京武信     (家起の弟・広武の子。 はじめは山口氏を名乗った。浪人。松斎に三百石をもって仕える。瀬川久太郎武貞は武信の息子である)
瀬川助左衛門本実   (武信の弟。浪人。利直に仕えて百石)
瀬川藤次郎敬健    (本実の子)
本舘甚四郎光起    (家起の弟・起晟の子。浪人)
本舘甚左衛門慶起   (光起の子。農民となった。妹は南部重直{盛岡藩三代目藩主}の妾になった)
亀ケ森能登喜明    (稗貫一族。浪人。家法が亡くなった後、その妻を伴って降参した。その女性が非常に美人であったため、南部信直は召し出して妾とした。同時に喜明も百石を持って召し抱えになり、名を山屋三右衛門と改めた)
山屋三右衛門家明   (喜明の子)
山屋万左衛門辰明   (家明の子)
瀬川下総守      (浪人)
瀬川出羽守      (浪人)
十二町目佐渡守助茂   (旧臣)
十二丁目下総守祐基   (佐渡の子)
伊藤小市郎助吉    (下総の子。利直に仕えて百石)
伊藤丹後助宗     (佐渡の二男。たびたび一揆を起こしたが、松斉に十石をもって召し抱えられた)
十二丁目掃部助祐忠  (同流)
十二丁目主水正祐隆  (祐忠の子)
十二丁目右衛門祐慶  (祐忠の二男)
十二丁目斎宮     (祐隆の子)
伊藤新左衛門祐忠   (十二丁目右衛門の子。浪人)
根子周防守高純    (旧臣。たびたび一揆を起こす)
根子備中守高充    (周防子。同断)
根子孫三郎高能    (同二男。同断)
根子大学吉康     (旧臣)
根子兵庫助吉房    (大学の子)
根子与三郎吉就    (内蔵助の子)
根子右兵衛
根子主膳貞景     (兵庫助の子)
根子嘉右衛門貞行   (吉房の二男。政直に仕えて五十石)
根子越後守高重    (備中の二男。たびたび一揆を起こす)
根子忠五郎高成    (越後の子。一揆を起こして討死した)
根子次郎右衛門高次  (越後の二男。後年新田を拓いて七十石を与えられた)
高橋備後守愛知    (旧臣)
高橋惣兵衛愛由    (備後の子。利直に仕えて百五十石)
高橋四郎兵衛茂親   (備後の二男。松斎に仕えて三十石)
高橋駿河守盛重    (旧臣)
高橋与四郎盛時    (盛重の子仕利直に仕えて百七十石)
高橋庄太夫吉隆    (盛重の二男。松斎に仕えて二十二石)
金矢丹後光栄     (高橋氏。松斎に仕えて百石)
亀ケ森能登守家朝
亀ケ森玄蕃家衡    (家朝の子。利直に仕える)
亀ケ森兵助家祐    (玄蕃の子で、後に玄蕃を襲名。三十石をもって政直に仕えた)
小森林修理正達
小森林新左衛門正行  (修理の子。利直に仕えて百五十石)
小森林与五右衛門正忠
小森林大隅守
小森林治部少輔
神山彦助吉次     (根子次郎右衛門高次の子)
臺掃部助行光     (高階氏。浪人)
臺弥十郎家光     (行光の子。信直に仕えて二百石)
臺四郎五郎顕光     (行光の弟。浪人)
北湯口伊豆守光近
北湯口大膳亮光仲   (伊豆の子)
北湯口弥太郎     (大膳の子。一揆を起こして討死した)
北湯口安芸光茂    (伊豆の二男。信直に仕えて五百石。姓を島森氏に改めた)
北湯口主膳光房    (光茂の子。政直に仕えて三百石)
島森権左衛門光里   (光茂の次男。松斎に仕えて五十石)
糠塚主計義相     (信直に仕えた)
糠塚次郎右衛門義音  (主計の子)
糠塚儀左衛門義但   (次郎右衛門の子)
似内備中守高範
似内雅楽助高衛    (備中守の子)
似内隼人
似内但馬守敏房    (同流)
似内式部且房     (但馬守の子)
似内五郎       (但馬の弟。一揆を起こして討死した)
似内平蔵       (五郎の弟。兄と同じく討死)
照井兵衛入道鉄山
照井帯刀左衛門武也
照井助次郎武昌    (武也の子。政直に仕えて五十石)
中嶋五兵衛冨秀
中嶋才兵衛冨尊    (五兵衛の子。松斎に仕えて百石)
中嶋小十郎冨重    (才兵衛の子)
葛三郎左衛門家幹
葛茂右衛門家元    (三郎左衛門の子)
鈴木大炊助屋晴
鈴木逸宗屋滕     (大炊の子。信直に仕えて百石)
鈴木孫四郎儀仲
鈴木九十郎儀保    (孫四郎の子)
鈴木九蔵       (孫四郎の弟)
寺林民部少輔
寺林将監宗次
寺林縫殿助宗忠    (将監の子。松斎に仕える)
佐々木孫次郎高寛   (似内雅楽の二男)
佐々木惣太郎為房   (似内式部の子)
梅木助三郎政陳
三田権太夫廣行
小山田五郎左衛門宗治
小山田内膳宗隆    (五郎左衛門の子。和賀家に仕える。 後に政直に仕えて三十石)
小山田越前守吉範   (閉伊十郎の孫。小山田村に住む。志和家と稗貫家の二家に仕えた)
小山田越前守吉前   (吉範の子。利直に仕えて三十五石
平賀五郎兵衛光則   (根子支族)
坂水右近義道     (松斎に仕えて三十石)
坂水又兵衛義顕    (右近の子)
八重畑美濃守
八重畑大隅守
八重畑獨歩斎
八重畑豊前守宗昭   (家老)
織笠九蔵宗能     (豊前の子で織笠庄助の猶子。七十石)
大迫右近       (大迫の住人。志和や九戸一味に味方して一揆を起こしたが、人首村において死んだ)
大迫又三郎      (右近の子。和賀一揆に加わって死んだ)
大迫又左衛門     (右近二男。和賀一揆に加わって死んだ)
大迫十郎兵衛     (右近の弟。松斎に仕える)
新堀侍従北山斎
新堀作兵衛      (北山斎の子。志和一味。信直に仕える)
八反清水典膳
八反清水次郎左衛門  (典膳の子。剛勇の士。一揆を起して花巻城を攻めるが討死した)
岩田堂隠岐守広邦
岩田堂七右衛門広舎   (信直に仕えて七百石)
岩田堂源左衛門広恒
轟木長左衛門敦久   (元和賀家の家臣。信直に仕えて七百石)
轟木作兵衛      (長左衛門の子)
釜糠修理忠時
安俵五郎左衛門隆義  (忠明の子。利直に仕える)
高松監物
小船渡帯刀
小船渡三郎兵衛
小船渡小五郎     (信直に仕えて五百石)
八木澤左近
八木澤忠平
田中隠岐守
矢澤参河守      (旧臣。鎌田氏)
矢澤掃部
槻木主計助      (旧臣。山内氏)
槻木下野守
槻木孫太郎
幸田伊豫守
関口主膳正
関口彦四郎
櫻 安芸守
櫻 雅楽助
櫻 彦十郎
平綿土佐守
白石越後守
堂前彦太郎
二ケ村帯力俊隆
圓満寺兵庫
圓満寺土佐守
鍋倉大隅守
万丁目駿河守
松林寺将監
狼澤豊後守
湯本五郎左衛門
黒沼修理      (松斎に仕える)
好地孫八
猪鼻弥十郎
嶋廻次郎左衛門
嶋廻五郎左衛門

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