2016-11-10 17:55 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)7
九戸左近将監政実叛逆のこと

 南部家の始祖・三郎光行の五男は九戸五郎行連といい、九戸郡の久慈城を与えられて代々ここに住んでいたが、十二代目の子孫・修理大夫信実入道円心は二戸郡の宮野城へ居を移して、その息子・右京亮信仲は永禄八年(1564)に亡くなった。
 家督は息子の修理が継ぎ、一万石の大禄を得て、名前を左近将監政実と改めた。母は八戸但馬守信長の娘で、妻は四戸甚三郎義時の娘であった。南部晴政に仕えたが、一門衆に名を連ねる大家であるため、その威勢は家中に並ぶものがなかった。

 晴政が亡くなり、そのあとを継いだ晴継もまた早世すると、晴継に子供がなかったため一門の内より後継者を選ぶこととなった。家中には政実が後継者として家督を継ぐだろうと考えるものが多かったが、北尾張信愛が田子九郎を推挙して強引に家督と定め、 永禄八年(1564)八月、九郎は改名して二十六代南部大膳大夫信直と称した。この人の父親は石川左衛門尉高信で、母は一方井刑部の娘である。妻は晴政の姫君であった。

 政実は宗家を継げなかったことがはなはだ面白くなく信直を激しく嫉妬し、手下を集めて叛逆の準備を進めたが、天正元年(1573)になってそれが露見した。すぐさま信直は出兵して政実と合戦し、政実はこれに敗北して降和を願い出たため、しばらくの間領内は平和であった。
 しかし、同十五、六年(1588、1589)ごろに再び手下を集め、領内諸所で一揆を企てはじめた。北では津軽為信、西では秋田実季などがこの一揆に内応してそれぞれ兵を挙げた。三戸城では諸方へ兵を派遣して対応したが、隙を窺っていた九戸一味がこれを好機として各地で乱暴狼藉のふるまいに及んだ。七戸彦三郎家国、久慈備前直治、一戸彦次郎実冨、櫛引河内清長、大湯四郎左衛門昌次、大里修理親基、圓子右馬允光種などが各地で仇をなし、天正十七年より宮野城へ籠城して、南部方との合戦が止む日はないという有様だった。

 天正十八年(1590)、信直は小田原に参陣して豊臣秀吉に謁見したが、その際前田利家と浅野長政を通じて領内の逆徒征伐の援軍を願い出ると、秀吉はこれを大いに許した。
 信直が帰国すると、やがて浅野弾正少弼長政が下向してきて九戸城を包囲した。三戸勢は死力をつくす奮戦をみせ、防戦不可能と判断した九戸方は降参を願い出た。長政は安寧を急ぐあまりにこれを許可し、その後は信直との細かい協議を終えてから京都へ帰っていった。
 しかし九戸党はまたも集結して、十九年(1591)に再び籠城した。信直がこれを秀吉へ訴えると秀吉は激怒して、奥州の逆徒を征伐するとして豊臣秀次に大軍を与え下向させた。討伐軍は陸前国栗原郡の三迫に本陣を置き、先鋒に浅野弾正少弼長政、堀尾帯刀吉晴、蒲生飛弾守氏郷、これに徳川家康の家臣から井伊兵部少輔直政などが加わった。そのほか秀吉の命令によって、隣国より秋田城介実季、小野寺遠江守義道、本堂伊勢守親道、仁賀保兵庫頭勝利、小国大膳亮之影、津軽右京亮為信などが出陣して、姉帯城をはじめとする九戸方の支城を次々に攻め落としたため、九戸の本城・宮野城は裸城となってしまった。
 城は大軍によって厳重に包囲され、城内では死傷者が大量に出て、とても防ぎきれぬと悟った政実は降参を申し出たが、それは一揆の頭目七人以外は女子供や雑兵の命を助け、罪を赦免してくれるならという条件付きであった。
 七人の申し入れに対してそのようにするだろうという回答が得られたため、政実をはじめとした頭目の七人は降伏し、討伐軍の本陣・三迫に連行されていったが、秀次は度々叛逆を企てた不届き者は生かしておけぬとして、栗原郡三迫石越村・大島町において九戸政実を誅殺し、その他の七戸家国、久慈直治、櫛引清長、大湯昌次、大里親基、一戸実富、圓子光種も同じく死刑に処した。
 この処刑場所を土地の人々は岩ケ崎九戸壇と言い習わした。政実の碑名をしたためたのは虎山全嘯とされ、その碑もここに残っている。
 政実の一人息子は落城の際にまだ幼少であったため、四戸入道全閑が懐に隠して落ち延び、江刺郡の正法寺に匿った。成長して堀野三右衛門政信と名乗り江戸に住んだが、胆力がある上頭脳明晰の人物だったため徳川秀忠に召し抱えられ、禄高三千石を与えられたという。

 <政実の一族>

九戸彦九郎実親   (政実の弟で室は南部晴政の娘。初名を彦七政任といった。兄に一味して籠城したが徹底抗戦を主張して、降参する兄を諌めた。戦後ひとり城中に残って戦い、武勇の死を遂げた)
九戸隠岐連尹    (信実の二男・左衛門信尹の息子。落城後は浪人となる。後年、中野修理を訪ねたおり口論となって修理を殺したが、その場において修理の息子・正康に討ち取られた)
九戸杢兵衛尹実   (連尹の弟。 落城後は浪人となる。諸所の一揆でその頭目となり 大崎一揆に加わって蒲生氏郷軍と合戦し、討死した)
中野修理康実    (政実の弟。志和の斯波氏の婿となり、高田弥五郎を称した。後に南部家へ仕えて岩手郡に住し中野と改名。九戸党に入らず信直に仕え、三千五百石)
姉帯与次郎兼政   (一族の刑部兼直の息子。 姉帯城主で千五百石。若年のため二人の叔父が後見した。叔父たちの諫言を用いずに九戸に味方し、宮野城に籠城する。天正十八年討死した)
姉帯大学兼興    (兼政の叔父。九戸の逆心に対して不同意であり、従わなかった。甥・兼政を諫止するも聞き入れられず、兼政は篭城してしまった。兼興は不本意ながらも自ら城へ篭り、武勇の死を遂げた)
姉帯五郎兼信    (兼興の弟。兄と同じく討死した)
小軽米左衛門久俊入道一熈斉  (政実をたびたび諫めたが用いられなかった。のち信直に仕えて三十石)  
江刺家斎藤太久正
小軽米左衛門直連  (久俊の子)
江刺家八郎

<政実の一味ならびに臣下の者たち>

七戸彦三郎家国   (七戸城主・七百石。 頭目の一人で、三迫で誅殺された)
七戸大輔慶高    (彦三郎の弟で浪人)
七戸宮内慶次    (大輔の子。利直に仕える)
七戸伊勢守慶道   (天正十九{1591}年討死した)
七戸左衛門慶通   (伊勢の子で浪人)
七戸縫殿助直次   (伊勢の二男で浪人)
七戸三郎太郎正国  (通称は彦三郎。諸所で一揆を起こした)
七戸将監
七戸与十郎
久慈備前守直治   (久慈城主。 頭目の一人で、三迫で誅殺された)
久慈中務少輔政則  (備前の子。討死した)
久慈主水正政祐   (備前の二男。討死した)
久慈出羽守治光   (備前の弟。落城後は津軽へ逃亡したが、後に帰参する)
久慈九郎治吉    (出羽の子とされるが実は政実の弟。兄を裏切り、信直に仕えた)
久慈孫六治興
久慈修理入道浄衣
久慈修理重房    (浄衣の子)
久慈野助親政    (信直に仕える)
坂本雅楽助仲満   
坂本新立
坂本式部
一戸彦次郎実冨   (頭目の一人で、三迫で誅殺された)
一戸図書助光方   (彦次郎の弟。討死)
一戸信濃守政包   (兵部の弟。兄と甥を殺して出奔し、姓を平舘氏と改めた)
櫛引河内守清長   (櫛引城主。頭目の一人で三迫で誅殺された)
櫛引出雲守興繁   (河内の子。捕虜となり、処刑)
櫛引左馬助清政   (河内の子。討死)
櫛引将監光清    (河内の弟。浪人)
櫛引弥五郎興堅   (出雲守の子。浪人)
櫛引十兵衛清寛   (河内の二男。秋田に逃走)
大湯四郎左衛門昌次 (五兵衛昌忠の弟。頭目の一人で、三迫で誅殺)
大湯次郎左衛門昌吉 (四郎左衛門の子。津軽に逃走)
大湯彦右衛門昌致  (四郎左衛門の二男。津軽に逃走)
大里修理親基    (鹿角に住んだ。頭目の一人で、三迫において誅殺)
大里備前親易    (修理の子。出羽に逃走)
大里左衛門五郎親房 (備前の子。浪人)
圓子右馬允光種   (九戸に住んだ。頭目の一人で、三迫において誅殺)
圓子金十郎邦種   (右馬允の子。浪人)
圓子右馬助種貞   (金十郎の子。浪人)
高橋播磨守     (姉帯城において討死した)
月舘左京亮
月舘右京
岩館彦兵衛     (姉帯城において討死した)
南舘玄蕃
南館甚吉
毘沙門別当西法院  (姉帯城において討死した)
天魔舘源左衛門
天魔舘覚右衛門
根曾利弥五右衛門  (根曽利城において討死した)
古舘小十郎
新舘兵部允
大浦主殿助勝建
大澤帯刀
大森左馬助
大野彦太郎
大野彦六郎
大野弥五郎
中野造酒允正行
中野弾正
中野軍曹
中村七左衛門
中村嘉藤治
中里清左衛門
小鳥谷摂津守
小神弥七郎
小泉又四郎
小田民部允
小林弥左衛門
小間杉小左衛門
小笠原与一郎
上斗米民部
上斗米七郎
上野右衛門佐
上野十郎左衛門
上野民部助
横浜左衛門佐慶則   (横浜に住んだ。七戸の部下。降参して信直に仕える)
野田覚蔵親正     (落城後は浪人したが、赦免されて信直に仕える)
野田権左衛門
野辺地久膳三慶    (横浜の分流。天正十八年二月に亡くなった)
野田靱負親清     (落城後は浪人。赦免されて信直に仕える)
野田庄左衛門
四戸伊豫入道全閑   (政実の息子・亀千代を懐に隠して落ち延び、江刺へ逃亡した)
野田久兵衛      (姉帯城で討死)
野田市之助
四戸中務宗光     (金田一の弟。讒言を受けて城を出、秋田へ逃亡)
平館下総正寿     (一戸信濃の子)
平館兵庫政敏     (一戸信濃の二男)
江繋喜左衛門正興   (閉伊城へ入城し、名を久三郎と改める。信直に仕えた)
平館久左衛門嘉豊   (一戸信濃の三男)
蛇口弥助光種
種市中務丞光徳    (九戸党を裏切って信直に仕えた。六百石)
種市孫左衛門光広   (中務の弟。浪人)
種市与五右衛門光顕  (中務の弟。 天正十九年に討死した)
嶋森安芸守
嶋森内膳正       
工藤権大夫業綱
工藤右馬助業祐
工藤新十郎
工藤右衛門佐直祐
工藤万助幸祐     (鉄砲の達人)
佐藤外記
山根彦右衛門
長内傅右衛門
吉田兵部允
山根彦内
長内弥左衛門
吉田掃部
山内伊八郎
長内庄兵衛
吉田新兵衛
山崎佐十郎
伊保内美濃守
吉田門助
宮山右衛門尉
和井内山三郎
太田与五右衛門
晴山治部允
岩崎弥五郎
福田掃部助
晴山玄蕃
花坂右近
福田権兵衛
泉山右衛門尉師泰
花崎弥三郎
附田甚兵衛
泉山兵部丞
花崎弥十郎
和田覚右衛門
泉山左衛門佐
花松左近
戸田監物
西法寺右衛門
安倍又三郎
津田五郎左衛門
西法寺辰之助
諏訪新右衛門
盛田安芸守
高善寺孫助
袰綿孫平次
知田覚左衛門
奥寺右馬允
鳥谷庄左衛門
田子民部允
二戸一休斎
鳥谷孫助
田子金十郎
二子喜左衛門
新谷孫左衛門
夏井久膳
三上越前守
新舘兵部
夏井弥八郎
三上才太郎
野瀬又右衛門
名久井久膳
三日市越中守
堀野刑部丞
名久井甚兵衛
三国傳助
堀野彦兵衛
名久井虎之助
八木平八
堀野弥三郎
名久井兵右衛門
高家将監
西野甚助
相嶋筑後守
美渡部玄蕃貞継
宮野弥三郎
相嶋左近
樫平伊豫守
新里平馬允
沖平九郎
軽米宇右衛門
樋口与五左衛    (一戸城に篭城して討死した)
東川小左衛門
有戸喜左衛門
白鳥但馬守
穴澤善右衛門
戸伊良監物
戸来喜右衛門

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