2016-11-11 06:27 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)8
和賀家の次第

 右大将源頼朝の長男・千鶴丸という人は、伊東次郎祐親の娘と頼朝が密通して生まれた子であったため、噂が平家の耳に入ることを恐れた祐親によって由比ヶ浜で殺されたことになっている。しかし実は、密かに纐纈(読み・コウケツ)源六盛房に身柄を預けられて養育されていた。
 頼朝が天下一統を果たした際、盛房はその事実を頼朝へ言上した。北条政子の嫉妬を恐れた頼朝は奥州和賀郡の地頭職を与え、式部大輔忠頼と名を改めさせた。
 忠頼は建久二年(1191)に奥州へ下向し、二子城に住んだ。妻は刈田平左衛門尉時盛の娘である。源六盛房も忠頼に随行し姓を八重樫に改めて、重臣として代々仕えた。刈田氏の子孫は小田嶋と平澤の両家に別れた。

 忠頼の息子は中務大輔忠実といった。次男は羽後国本堂郷に移り、本堂式部大輔忠朝と名乗り、代々本堂郷を領知した。
 三代目の中務大輔忠兼には男子がなく子供は娘が一人いるだけだった。そこで多田三郎義季の三男を婿養子に決め、四代目を継がせた。五代目は和賀御所多田三郎宗忠、六代目は多田太郎宗義、七代目は多田三郎義維という。和賀多田三郎義達は、南朝の北畠顕家に従軍し、戦功を挙げた。
 八代目は多田佐渡守義周、九代目は多田大和守義弼、十代目は多田大和守義篤、十一代目は多田中務大輔義翁、十二代目は多田薩摩守義弥、十三代目は多田右衛門尉義春といった。
 十四代目の多田薩摩守義興は、最初は式部少輔義明と名乗った。天正八年(1580)に亡くなった。
 十五代目の多田薩摩守義興は大和守光教の実弟で、宗家へ養子に入ったものである。天正十八年(1590)、豊臣秀吉が小田原征伐のため関東へ下向した際、これまで参礼の無かった輩を征伐すると称し、豊臣秀次に大軍を与えて奥州へ下向させた。その軍が早くも福島あたりにまで到着したと聞いて義興は大いに驚き、本城を打ち捨てて逃亡し、出羽国の仙北郡田沢に身を潜めたが、その年の十月に病死した。妻子や諸臣は各地へ散り散りとなった。
 十六代目の多田又次郎義忠も父と同じく逃走したが、やがて旧臣を二子城に集めて挙兵し、薩摩守と名を改めて、近郷を荒らし回った。そこで同十九年(1591)浅野長政と蒲生氏郷が奥州へ下向し、二子城を包囲した。義忠は防戦するすべもなく、城に火をかけて自殺した。

 その息子・又次郎義実は滅亡の際に城を落ち延びた後、行方不明となった。
 次男の又四郎義武(注・一般には「和賀忠親」の名で知られている)は城を脱出した後仙台へ逃走し、伊達政宗に身を寄せてひそかに加勢を頼み、一揆の首領となって主馬助と名を改めた。
 斯波氏や稗貫氏などの残党を仲間に加えて花巻城を襲撃し、田瀬や土沢、あるいは寺林のあたりでたびたび一揆を起こした。
 慶長五年(1600)に上方で乱が起こり、最上義光の加勢のために南部利直が最上へ向けて出陣すると、主馬助はそれを好機として挙兵し、岩崎の古城に立て籠もって毎日のように近隣を荒らしたので、利直は最上を早々に引上げて岩崎へ出陣した。
 ところが、雪が深くとても合戦をするどころではなかったためいったん兵を収め、翌六年(1601)の春に出馬したところ、今度は和賀川が増水して川を渡れなかった。困惑していると、降将の江釣子周防吉久が先陣を切って川を渡り城へ攻め寄せたので、奮い立った諸軍も競いあって攻撃を開始し、たちまち激戦となった。
 この戦いで寄手の中にも乙部長左衛門吉形、今渕半九郎政慶、岩清水蔵人義国などの戦死者が出たほか、城方には岩崎弥右衛門義彦、同将監、小田島周防守、小原蔵人、筒井又十郎など、加えて伊達政宗が援軍として派遣した鈴木将監、仁井田内膳の諸士、斯波氏の浪人・山王海太郎などが相次いで討死し、城を保ち難くなった一揆勢は城へ火をかけ、散々の体で逃走した。
 主馬助義武も落ち延びて、仙台領の松山に身を潜めた。この事件を徳川家康が聞きつけて伊達政宗の心底を疑ったため、焦った政宗は松山において主馬助を殺害し、その首を家康に献じた。  
 主馬助義武の息子・太郎はまだ幼児であったので庶民の間に身を隠し、成長したのち政宗に仕え、和賀主水義趣と名乗って現在は仙台藩中にいるそうだ。

<和賀一族>

本堂伊勢守親永   (初代二男の子孫。羽州の本堂領主。秀吉より八千石を安堵された。すでに一家をなしていたため、和賀の一揆には加担しなかった)
和賀豊前入道月斎  (黒岩城主。和賀殿の次男で盲人である。その子孫は仙台藩に仕えた)
煤孫下野守治義   (八代目の義周の二男・上野介義秀の六代目の子孫。煤孫館主。初名は助三郎。度々一揆を起こす)
煤孫修理助義甫   (下野の子。松斉に仕えて五十石)
煤孫助三郎隆義   (下野の二男。一揆の頭目の一人)
太田民部少輔義勝  (煤孫の分家。沢内村の太田に住んだ。信直に仕えて八百石)
太田縫殿助久義   (義勝の子。利直に仕えて五百石)
太田小十郎義房   (義勝の二男。父から三百石を分地される)
猿橋五助義弘    (義勝の三男。庶民となったが、三代藩主の時代に召し出された)
岩崎弥右衛門義房  (十二代目の中務少輔義翁の四男・岩崎八郎義縄の三代目の子孫。岩崎一揆の頭目の一人で、慶長六年{1601}落ち延びる途中で討死した)
岩崎弥十郎義高   (義彦の息子。伊達政宗に仕えて七百石)
岩崎弥左衛門義昌  (義彦の二男。通称は六郎。利直に仕えて百石)
岩崎将監        (落城の際に討死した)
岩崎弥八義邦     (義彦の三男)
岩崎兵庫助
岩崎藤四郎
鬼柳伊賀守義邑   (十二代目の中務大輔義翁の五男・鬼柳伊賀守義幹の三代目の子孫。鬼柳舘主)
鬼柳三郎兵衛義敦  (義邑の息子)
鬼柳蔵人義元     (義邑の二男。利直に仕えて百五十石)   
鬼柳弥吉義景     (義邑の三男。利直に仕えて十五石)
鬼柳源四郎
毒沢民部少輔頼一  (十三代目の薩摩守義弥の長男・太郎義一の息子。毒沢舘主)
毒澤伊賀守一忠   (頼一の息子)
毒沢金作一邦    (頼一の二男)

<和賀臣下>

小田島雅楽助親光  (刈田平左衛門時盛の子孫で、和賀家第一の重臣であった。平沢村に住む)
平澤右馬助親久   (親光の息子。政直に仕えて五十石)
平澤隠岐親成    (親光の弟。浪人)
小田嶋小次郎勝親  (親光の弟。浪人。飯豊村に住む)
小田嶋右京親寛   (隠岐の息子。浪人)
小田嶋治郎親治   (小次郎の子。浪人。矢沢村に住む)
小田嶋主殿助親好  
小田嶋周防守
小田嶋内記新邦   (親好の息子)
八重樫美濃守房重  (纐纈源六盛房の子孫。初代以来、代々の重臣である。義興の家老)
八重樫掃部助    (義与の家老)
八重樫丹後守     (一揆の頭目の一人)
小原玄蕃峯行    (旧臣)
小原宮内安尹    (峯行の子。主馬助義武とともに逃走し、松山で殉死した)
小原蔵人        (落城のおり討死)
小原五郎左衛門峯興  (峯行の三男。政直に仕える)
高橋民部少輔吉資  (姓を江釣子氏に改めた)
江釣子周防吉久   (民部の子。政直に仕えて百石)
江釣子助五郎     (松斎に仕えて百石)
江釣子彦右衛門吉遠  (周防の子)
藤根五郎坊吉隆
藤根右近吉重    (五郎坊の子。利直に仕えて百五十石)
立花五郎左衛門勝登
立花主膳勝重    (五郎左衛門の子。信直に仕えて六石)
晴山蔵人慶知
晴山茂兵衛慶素   (蔵人の子)
晴山隼人慶如    (茂兵衛の子。利直に仕えて百石)
鈴木内匠助茂良   (気仙の人。利直に仕えて二百石)
鈴木杢助茂照
長沼兵部景長    (利直に仕えて二百石)
長沼五郎左衛門景貞  (兵部の子)
長沼平十郎貞刻   (兵部の二男)
藤沢左衛門五郎忠清     (利直公に仕えて百五十石)
藤沢左衛門五郎為忠   (忠清の子)
藤沢左内秀為    (忠清の二男)
轟木紀伊入道月斎
轟木兵庫助光尹   (月斎の子)
轟木長左衛門敦久  (月斎の二男。稗貫氏に仕えた後、利直に仕えて七百石)
轟木作兵衛      (長左衛門の子)
轟木源八郎      (光尹の子)
安俵玄蕃       (稗貫の士)
安俵五郎左衛門
成田藤内
成田藤九郎      (一揆の頭目の一人で討死した)
筒井内膳正 
筒井縫殿助      (一揆の頭目の一人)
筒井又十郎      (岩崎で討死)
筒井喜助        (主馬助とともに逃走し、殉死)
岩田堂隠岐守     (稗貫の士)
岩田堂七右衛門   (隠岐の子。利直に仕えて七百石)
岩田堂源左衛門
斎藤九郎右衛門    (一揆の頭目の一人)
斎藤十蔵         (主馬助とともに逃走し、殉死)
佐藤孫市
梅沢伊豆守       (更木村に住む)
梅沢金作
更木主水正
只木下野守
只木五郎左衛門
只木五郎兵衛
昆土佐守             (立花村に住む)
都鳥兵部丞 
都鳥藤内
小鳥崎修理
欠上治部少輔利元       (近江の人)
渕柳五郎左衛門
相去清三郎
千刈田刑部允
千刈田半太夫
願念隠岐守
願念讃岐守
仙人別当浄念坊
妙楽院
川原田伊勢守
川原田主計頭
川原田左衛門尉
蒲田宗現

<稗貫氏の浪人>

根子周防守高純
根子備中守高充
根子孫三郎
根子内蔵助俊吉
根子弾正忠
根子越後守高重
根子忠三郎高成          (慶長五年{1600}花巻城で討死した)
桜 雅楽助
矢澤掃部助
矢沢弥太郎
八重畑美濃守
八重畑刑部入道休信
八重畑又左衛門
八重畑又三郎

<志和の浪人>

多田孫八郎綱俊
多田弥兵衛忠綱
山王海太郎            (岩崎城で討死)
小山田内膳宗隆
小山田孫八
大迫又左衛門
大迫又三郎            (岩崎城で討死)
大迫右近             (たびたび一揆を起こし、人首村に逃走してそこで死んだ)

<遠野の浪人>

阿曾沼四郎広縄
駒木内膳
平倉刑部
宇夫方八郎右衛門
白岩左衛門
畠山五郎八
金沢与五郎
細越与二郎
栃内善兵衛

<伊達政宗から遣わされた援軍>

白石右衛門尉宗玄
鈴木将濫重信           (岩崎で討死)
猪狩伯耆守
仁井田内膳            (岩崎で討死)
母躰周防守
上郡山主水            (政宗の加勢として田瀬一揆に加わる)
藤田右兵衛尉           (政宗の加勢として安俵一揆に加わる)
月舘右京
堀野弥三郎
 
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