2016-11-12 01:32 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)9
閉伊郡の次第

 大昔から閉伊郡を治めていた閉伊一族の閉伊右衛門太郎武国とその弟・兵衛尉則国は藤原秀衡の家臣で、中田城を居城としていた。
 文治五年(1189)閉伊氏は藤原泰衡に従軍して、源頼朝の奥州討伐軍と戦ったが戦に利あらず、武国の息子・閉伊次郎武芳と、その弟の五郎武保は中田城で討死を遂げた。その子孫はどうなってしまったのか不明である。

 源鎮西八郎為朝の四男に嶋冠者為頼という人がいた。母は藤沢庄司三郎忠重の娘である。
 為朝が流刑にされた伊豆大島で成長し、鎌倉へ来て源頼朝に謁見して、その命令によって佐々木四郎高綱の養子となり、佐々木十郎行光と名を改めた。奥州征伐の後、閉伊郡の半分を地頭職として与えられ、建久元年(1190)に下向して名を閉伊と改め、田鎖城に住んだ。
 その息子の閉伊出羽介家朝の二男・三郎行朝は子孫の者がたいへん多かった。元弘元年(1331)に元弘の乱が勃発すると、一族の中に北畠顕家へ従軍する者が大勢いた。

 応永から永享(1394~1441)の頃になると、閉伊宗家の威信は大きく衰えて、三戸の南部守行が閉伊郡へ攻め入った際には、一族の多くが宗家を離れ、南部家へ味方した。それ以降は一族の支流の者が一家をなして、宗家の命令をまったく聞かなくなった。やがて宗家も没落して、領主から国人(注・土着の豪族。この場合は地侍程度の意味かと思われる)の列にまで零落した。

 天正十八年(1990)豊臣秀吉に参礼しなかった輩は征伐されるとの噂を聞いて、田鎖城主・田鎖遠江守光好の息子・十郎左衛門光重が三戸へ赴いて、南部信直に仕官した。二戸郡に百五十石の禄を与えられ、永く臣下として仕えた。
 その息子・十郎左衛門光吉は和賀郡立花村の番所へ勤務していたが、賊徒のために殺害され、家禄を没収されてしまった。その息子・田鎖庄三郎光金は三人扶持を支給された。
 光好の二男・薩摩重頼は浪人し、閉伊に住んだ。この人には一族や分家が多いそうだ。

<閉伊十郎行光の支族ならびに閉伊衆>

田鎖次郎左衛門光周   (遠江守光好の子。利直に仕えて六十石)
田鎖善九郎義重      (光周の息子)
田鎖次郎右衛門光明   (光周の三男。松平伯耆守綱清に仕えた)
田鎖次郎兵衛光清    (光周の二男。利直に仕えて二百石)
田鎖助太夫政勝     (光清の息子。寛文元年{1661}に自殺した)
田鎖三郎兵衛高勝    (光晴の二男。越前忠昌に仕えたが、後に帰参した)
田鎖庄右衛門吉網    (光好の二男の子孫。利直に仕えて五十石)
田鎖庄助吉晴      (庄右衛門の子)
田鎖庄右衛門吉清    (庄助の子)
田鎖右京光賢      (光好の弟。信直に仕えて百石)
田鎖仁兵衛光親     (右京の子。五十石)
田鎖五郎光剛      (仁兵衛の子。三上才兵衛と決闘して死亡)
佐々木内蔵助義就    (一族。信直に仕えて五十石)
田鎖武右衛門綱茂    (庄三郎の子。新田五十石を与えられる)
田鎖庄三郎義次     (佐々木内蔵助の子。家禄を没収される)
佐々木新四郎      (内蔵助の弟。利直に仕えて百石)
田鎖六兵衛       (新四郎の子。家禄没収となる)
田鎖長次郎光尚     (一族。信直に仕えて五十石)
田鎖長九郎光世     (長次郎の子。勘定方を務め二駄二人扶持)
田中長兵衛高安     (光世の子。鳥見役{注・朝廷や幕府に献上する野鳥の管理や環境保全を行う盛岡藩独特の役職}を務め五駄二人扶持)   
田鎖修理        (一族。信直に仕える)
田鎖甚右衛門      (修理の二男。浪人)
田鎖清右衛門      (修理三男・利直に仕える)
田鎖右近        (修理の子。利直に仕える)
田鎖茂右衛門正陣    (右近の子。五十石)
蟇目茂右衛門正忠    (正陣の子。二百五十石)
田鎖伝右衛門勝吉    (右近の三男。七駄二人扶持)
田鎖勘五郎政興     (伝右衛門の子)
中村金左衛門信則    (田鎖清左衛門の子。二百石)
高浜弥右衛門光継    (信直に仕えて三百石。一揆に加わり家禄没収)
高浜三五郎廣安     (弥右衛門の子。新田に九十石)
高浜弥太夫信廣     (三五郎の子)
和井内三平光積     (一族。信直に仕えて六百石。通称は覚右衛門)
和井内覚左衛門光吉   (三平の子。家禄五十石を没収となった)
和井内覚太夫光安    (三平の二男。六駄二人扶持)
赤前中務忠光      (一族。信直に仕えて二百石)
赤前四郎右衛門義似   (中務の子)
赤前四郎右衛門吉保   (四郎右衛門の子)
大沢与右衛門秀久    (一族。遠野毛に仕えていたが、後に利直へ仕えて二百石)
大沢勘解由久親     (与右衛門の子。五十石)
大沢甚右衛門義業    (久親の子。百石)
大川彦兵衛清茂     (一族。信直に仕えて百五十石)
大川彦兵衛光清     (清茂の子。五十石)
大川彦十郎清峯     (光清の子)
片岸用之助安俊     (一族。信直に仕えて百五十石)
片岸用之助安春     (安俊の子。一度録を辞したが、後に五駄二人扶持で再び召し抱えられた)
片岸庄右衛門安秋    (安春の子)
重茂与十郎義武     (一族。信直に仕えて八十石)
重茂与三左衛門茂国   (与十郎の子。百石)
重茂権十郎義房     (与三左衝門の子。不慮の死を遂げた)
重茂掃部光長      (一族。利直に仕えて五十石。後に家禄没収)
重茂又五郎光季     (掃部の子。浪人)
重茂次郎作綱清
茂市右近光実      (一族。信直に仕えて二百石)
茂市三太夫実福     (右近の子。百三十石)
茂市右近光金      (三太夫の子。君命により桜庭家の養子に入る)
苅屋左衛門       (一族。利直に仕えて二百石)
苅屋越中        (左衛門の子)
苅屋弥一郎親正     (越中の子。家禄没収)
花輪安房為政      (一族。浪人)
花輪内膳正朝      (為政の子。利直に仕える)
花輪八兵衛正矩     (内膳の息子。百石)
花輪十郎親朝      (内膳の二男。通称は七右衛門)
花輪七右衛門政方    (十郎の子。百石)
花輪金蔵政氏      (七右衛門の子。名を七右衛門と改める)
苅屋五兵衛為勝     (内膳の三男。百石)
苅屋長五郎為房     (内膳の四男。浪人)
苅屋源吾為正      (五兵衛の子)
箱石備中義如      (花輪安房の五男。浪人)
箱石嘉右衛門義番    (備中の子。三駄三人扶持)
箱石清左衛門義致    (備中の三男。同心)
田代安芸光陽      (一族。信直に仕えて四百石)
田代治兵衛光恒     (安芸の子。百石)
田代治兵衛光貞     (光恒の子。重直の代に二百石の家禄を没収された)
田代判左衛門致光    (安芸の二男。百八石)
田代甚五右衛門純光   (判左衛門の子)
田代首令為光      (甚五右衛門の子。正徳二年{1712}不慮の死を遂げ、家名は断絶した)
山崎大内蔵親定     (一揆を起こしたが、後に信直へ召し抱えられて百石)
山崎善右衛門親吉    (大内蔵の子)
山崎小五郎親房     (善右衛門の子)
江刈内小左衛門久賀   (一族。浪人。後に新田十七石で召し抱えられた)
江刈内政右衛門久冨   (小左衛門の子)
江刈内左門林久     (政右衛門の子)
小山田越前吉範     (一族。志和と稗貫の両家に仕えた)
小山田越前吉前     (吉範の子。仕利直に仕えて十駄二人扶持)
小山田久左衛門吉行   (吉前の子)
近内長左衛門為如    (一族。信直に仕えて七十右)
近内長右衛門為矩    (長左衛門の子)
近内長之丞光抄長    (右衛門の子。自殺したので家禄が没収された)
荒川平次郎正則     (一族。利直に仕える)
荒川平右衛門盛光    (平次郎の子)
荒川喜藏重則      (平右衛門の子)
釜石新十郎       (一族)
釜石新助        (新十郎の子。利直に仕えて百石)
釜石庄九郎       (新助の子。浪人)
長沢九郎兵衛綱則    (支族。後年召し出された)
長沢七兵衛綱教     (九郎兵衛の子)
長沢三内綱忠      (七兵衛の子)
長沢善太夫吉督     (花輪の分家)
長沢弥五郎安光     (箱石の分家)
長沢八右衛門保幹    (田鎖の分家)
船越伊豫守長行     (小笠原長清の七代目の子孫。閉伊都船越村に住む。船越弥太郎安政の息子)
船越助五郎安国     (長行の子。信直に仕えて九百六十石)
船越弥兵衛安秀     (助五郎の子。三百石)
船越弥兵衛安昌     (安秀の子)
小本土佐守正長     (三浦義明の支族。 閉伊郡小本村へ数代に渡って住み、信直に仕えて百五十石)
小本土佐正衡      (正長の子)
小本助十郎正親     (正衡の子)
小本助兵衛正吉     (正長の二男。百石)
阿部勘助親長     (豊間根村の住人。利直に仕えて五十石)
箱石助左衛門慶備    (勘助の子。百石)
箱石半兵衛長親     (助左衛門の子)
千徳伊予守行重     (南部一門の一戸家の子孫。一戸氏を称し、閉伊衆を服従させる監視役として千徳城に住んだ)
一戸東膳助行実     (行重の息子。刑部左衛門と称した。天正三年に亡くなったが、後継者がなかった)
汗石安芸守長重     (行重の三男。津軽に移住して討死した)
津軽石九郎勝冨     (一戸義富の三男。千徳一族と争い、戦死する)
江繋伯耆正光      (行重の息子。信直に仕えて三百石)
江繋喜左衛門正義    (伯耆の三男。家督を継いで百三十石を与えられた)
八木沢与四郎光興    (伯耆の嫡男。本家とは別に百七十石を与えられ、左馬と名を改める)
八木沢久三郎正興    (伯者の二男。江繋喜左衛門と名乗った。九戸政実の叛乱に加担した)
八木沢金九郎正景    (久三郎の子。五駄二人扶持)
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