2016-11-14 17:37 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)10
鹿角郡の次第

 文治五年(1189)源頼朝の奥州征伐の際の記録に、藤原泰衛の従兵に鹿角近作と言う者の名があって大木戸において討死したとあるのだが、一体どのような人物であったのかは不明である。 
 奥州征伐の軍功により、源頼朝は甲斐源氏の武田一族に連なる浅利与一義遠を鹿角郡の地頭職へ任じた。その息子・浅利六郎知義の代になって任地へ下向し、鹿角に住むようになった。その三代目は浅利太郎義邦といった。

 応永(1394~1397)の頃になると、国人や郷士などがみな一家をなすようになって、浅利家は大いに衰亡し、秋田城介鹿季を頼るようになった。国人たちは南部守行に服従して浅利家と戦い、浅利家はこの戦いに敗れて秋田に逃れ、そのまま秋田家の家来となった。それから秋田と南部は、鹿角と隣接地の出羽国比内地方を争うようになり、しばしば衝突した。

 南部家の一門衆である一戸家の分流・太郎左衛門正久は鹿角郡の長牛村に住み、姓を長牛(読み・ナゴシ)に改めた。その息子を長牛弥次右衛門政義という。
 永禄八年(1565)秋田城介友季が軍を率いて襲来し、鹿角衆にも内応する者が出たため、政義は息子の縫殿助友義とともに防戦した。しかし戦いに利なく、次男の与九郎政武は討死してしまい、政義父子は三戸へ逃亡した。
 これによって桜庭安房守光康が鹿角へ向かうこととなったので、秋田勢は進退極まってしまった。光康が鹿角を平定した後、秋田城介愛季の代に至って両家の間に和睦が交わされ、愛季の息子の忠次郎季隆の妻に南部信直の娘を迎える婚姻が成立した。ところが、天正十五年(1587)秋田父子は相次いで亡くなった。愛季の次男・安東太郎実季が家督を継ぎ、鹿角は平和になった。

 慶長六年(1601)大光寺左衛門正親が花輪城代に任じられて鹿角に入った。同十二年(1607)北十左衛門直吉が鹿角奉行に任命されて鹿角入りするが、この時になってはじめて銅(金)山が発見されて、その後花輪城代は中野吉兵衛元康が命じられた。
 同郡の毛馬内には大湯五兵衛昌光、また毛馬内靱負秀範とその息子・毛馬内権之助政次がおり、南部重直の時代に大湯城代は赤尾又兵衛が任じられた。その後は大湯が北九兵衛、毛馬内は桜庭(注・以下は文章が欠けている)

<鹿角衆>

花輪伯耆守親行   (花輪の住人。安保氏の流れを汲み、本姓は在原とも丹治ともいわれる。代々南部家に従って南部晴政に仕えた)
圓子帯刀延親     (花輪親行の子。利直に仕えて三百石)
圓子伯耆定親     (帯刀の子。通称は惣五郎。二百石)
圓子九右衛門儀親   (定親の子。三百石を没収され、七駄二人扶持になる)
花輪次郎種親     (一族)
圓子右馬允光種    (次郎の子。九戸一揆に加担)
圓子金五郎種則    (右馬允の子。百石)
大湯五兵衛昌光    (鹿角郡大湯の住人。本姓は奈良氏。代々南部家に従い、信直に仕えて二千石)
大湯五兵衛昌忠    (昌光の子。通称は彦六)
大湯門之助昌邦    (昌忠の子。正保中{1645~1648}に早世し、家名は断絶した)
大湯彦三郎昌村    (昌吉の子。津軽家に仕える)
大湯四郎左衛門昌次  (昌光の次男。九戸一揆に加担し戦死)
大湯次郎右衛門昌吉  (昌次の子。利直に仕えるも出奔し、津軽へ逃走した)
大湯彦右衛門昌致   (昌次の二男。津軽家に仕えた)
小技指左馬助宗元   (鹿角郡小枝指村の住人。安保氏の流れを汲み本姓を丹治という。代々南部家に従い、小枝指村を領した。晴政に仕えて五百石)
小技指小次郎知宗   (左馬助の子)
小技指又左衛門茂宗  (小次郎の子)
小技指小右衛門宗勝
柴内弥次郎武貞    (鹿角郡の柴内村の郷士。安保氏の流れを汲み本姓は在原。南部家に従い、柴内村を領した。利直公に仕えて岩手郡川又村に移り、百石を支給された)
柴内弥三郎武興    (弥次郎の子。家禄没収)
柴内兵庫親久     (弥次郎の二男。浪人)
柴内又八郎親方    (兵庫の子。政直に仕えて三十石、のち家禄没収)
柴内又七郎親洪    (又八郎の子。御徒)
柴内理左衛門景弥   (又七郎の子。二百石)
柴内平五郎昌武    (兵庫の次男。六駄二人扶持)
柴内与五衛門久就   (鹿角郡の柴内村の郷士。成田氏の流れを汲み本姓は藤原。代々南部家に従い、利直に仕えて故郷に百石を領する)
柴内左次郎久慶    (与五右衛門の子。家禄没収)
柴内作右衛門久充   (与五右衛門の二男。新田に百石)
柴内与五右衛門久親  (作右衛門の子。足高を合せて二百石)
長内弥兵衛昌茂    (鹿角郡の長内村の郷士。成田氏の流れを汲み本姓は藤原。南部家に従い、信直に仕えて二百石。後に家禄没収)
長内弥左衛門昌教   (弥兵衛の子。九戸一揆に加担し、浪人)
長内傅右衛門     (弥兵衛の二男。九戸一揆に加担)
長内庄兵衛      (弥兵衛三男。九戸一揆に加担)
長内弥左衛門昌興   (弥左衛門の子。五駄二人扶持)
長内治兵衛興昌    (昌興の子。重信{注・四代藩主}に仕えて百石)
長内某
大里修理親基     (鹿角郡の大里村の住人。安保氏の流れを汲み、本姓は丹治。代々南部家に従ったが、九戸一気に加担してその頭目の一人となる。落城に際して降参し、三迫において誅殺された)
大里備前親易     (修理の子。浪人。秋田に逃亡)
大里左衛門五郎親房  (備前の子。浪人)
大里助右衛門親棟   (左衛門五郎の子。浪人)
大里主膳武上     (左衛門五郎の二男。政直に仕えて五十石)
大里庄左衛門廣共   (主膳の子。十駄二人扶持)
大里重右衛門廣定   (主膳の二男。御徒)
成田彦右衛門      (信直に仕えて三十五石)
湯瀬宮内         (信直に仕えて百石)
笹木宗右衛門
風張藤七         (利直に仕えて五十石)
折壁主殿
唐牛兵蔵 
原村三十郎

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