2016-11-15 15:44 | カテゴリ:歴史
奥南落穂集(意訳)11
浄法寺家の次第

 畠山庄司次郎重忠の三男は出家して僧侶になり、大夫房阿闍梨重慶と名乗って陸奥国二戸郡浄法寺に住んだが、父の重忠は讒訴により謀反を疑われ、攻めらて討死した。
 重慶と二人の兄はともに憤り、兵を起こすべく計画を練ったがこれが露見してしまい、鎌倉幕府は長沼五郎宗政を討手に任じて奥州へ遣わした。これにより重慶は誅殺されたが、幼かった息子は討手を逃れて民間に身を隠し、、後に浄法寺太郎重基と名乗って浄法寺とその近村を支配し、やがて一家をなすようになった。

 浄法寺家は三戸の南部守行に応永(1394~1427)の頃より従って軍功を挙げた。信直の代には五千石の大禄をを領して、浄法寺修理重安は九戸一揆鎮圧で功績があった。後に修理は名を帯刀と改めた。
 その息子・修理重好は利直に仕えて二千石を与えられた。和賀の岩崎一揆征伐に加わったが、慶長八年(1603)理由あって家禄没収となり、寛永四年(1627)に亡くなった。
 その息子・浄法寺内蔵丞は浪人し、名前を松岡八左衛門好忠と改めた。好忠は叔父の藤右衛門正吉の嘆願により召し抱えられ、和賀郡藤根村に二百石を与えられた。これは明暦二年(1656)のことである。

 帯刀重安の次男・松岡藤右衛門正吉は、最初は覚助と名乗っていた。兄の重好が家禄没収処分とされた際に浪人し、逃亡して秋田へ落ち延びたが、その後帰参した。利直に仕えて二百石を給せられた。和賀郡藤根村に新田を開くことを藩へ願出て、宗家である甥の八左衛門好忠に二百石、弟の市兵衛忠賀へ百五十石を配分してもらい、三代藩主・重直の御用人や御加判役などを勤めて禄高を加増され、合わせて三百石となった。また鹿角郡や二戸郡にも新田開発を願い出て、一族や臣下筋の者へ配分した。寛文五年(1666)八十五歳で亡くなった。
 その息子の藤右衛門美成は、初名を覚右衛門といった。

<一族ならびに臣下の者たち>

松岡尾張        (浄法寺松岡に住んだ庶流とあるが、いつ頃分流したのかは不明。信直に仕えて三百石。利直の代になって岩崎一揆鎮圧へ従兵するが、家禄没収となった)
松岡助四郎      (尾張の子。喧嘩によって死亡)
松岡惣左衛門     (尾張の次男。浪人)
松岡七右衛門     (惣左衛門の子。松斎に仕えて五十石)
松岡民部政興     (浄法寺の支族。分流年度は不明。長男の越前は五十石を給せられたが、重直の代に没収となる)
松岡内蔵助政成    (民部の子。政直に仕えて五十石)
松岡武兵衛政体    (内蔵助の子。通称は蔵人)
松岡万三郎政供    (内蔵助の次男。新田に六十石)
太田源四郎忠族    (畠山重忠の弟・長野六郎重宗の子孫。十六代目の大串新六郎重範の代に浄法寺に移住し、信直に仕えた。鹿角郡の柴内で討死)
太田源四郎忠能    (忠族の子。利直に仕えて百七十石)
太田源兵衛忠則    (忠能の子。家禄没収) 
太田源太夫忠継    (忠則の次男。重信に仕えて百石)
駒ヶ嶺内膳保忠    (内膳の子)
駒ヶ嶺四郎太夫忠武
駒ヶ嶺治郎忠則    (四郎太夫の子。七十石)
吉田右近忠近     (駒ヶ嶺忠武の三男。利直に仕えて二百石)
吉田作七忠行     (右近の子。家禄没収)
田山八兵衛忠旦    (同流。五十石)
西舘将監忠珍     (浄法寺の分流。六十八石)
西舘四郎右衛門忠茂  (将監の子。七駄二人扶持)
田山八太夫重防    (八兵衛の子。家禄没収)
五日市兵庫忠教    (同流。二百石)
五日市左近忠岩    (兵庫の子。五十石)
有居忠兵衛
大森十太夫忠善    (同流)
大森弥兵衛忠今    (十大夫の子)
大森庄五郎忠安    (忠今の子。新田に百石)
畠山左馬助
畠山孫七忠保
中川原小兵衛忠有   (孫七の子。三十五石)
畠山善蔵正和     (同流。七戸に住んだ)
駒ヶ嶺喜成正国    (正和の子。七戸に住んだ)
駒ヶ嶺善蔵正勝    (正国の子)
畠山甚兵衛光元    (同流。七戸に住んだ)
畠山治右衛門光成
浦田久六光正      (治右衛門の子。七戸に住んだ)
杉村六左衛門光寛   (浄法寺杉村に住んだ。斎藤吉之丞の息子。重直の代になって鷹匠として召し抱えられ五駄二人扶持)
杉村六郎右衛門光福  (六左衛門の子)
杉村六左衛門光昌   (六郎右衛門の子)
杉村次郎右衛門吉矩  (光寛の次男。五十石)
野続甚五郎久業    (浄法寺の旧臣。主家が家禄没収となったのち浪人したが、重直に召し出されて三駄二人扶持となる)
野続喜膳久徳     (甚五郎の子。家禄没収)
野続慶卜一久     (喜膳の子。五人扶持)
野続源内一光     (一久の子。四駄二人扶持)
松岡藤右衛門正吉   
駒ヶ嶺兵右衛門正家  (福岡与力。五十七石)
駒ヶ嶺兵左衛門義利  (正家の息子。花輪御給人)
駒ヶ嶺武兵衛好忠   (正家の次男。七駄二人扶持)
大森七右衛門盛常    (福岡与力。九十石)
大森五郎右衛門盛定  (七右衛門の子。御給人)
大森甚右衛門盛秀   (五郎右衛門の子)
大森助十郎盛重     (毛馬内与力。六十二石)
大森利兵衛盛光    (助十郎の子)
大森助之丞忠時     (福岡与力。三十石)
佐藤助左衛門正良    (福岡与力。八十石)
佐藤庄左衛門良正   (助左衛門の子)
佐藤庄左衛門近良   (良正の子。御給人)
佐藤庄兵衛政常    (正良の次男。福岡御給人。十五石)
佐藤専右衛門正道   (近良の二男。御給人。五十石)
佐藤庄之助正房    (正長の三男。浪人)
安ケ平喜右衛門義重   (福岡与力。七十石)
安ケ平喜右衛門義範
安ケ平善右衛門義配  (義範の子)
関与平治定政     (福岡与力。九十石)
関与八郎定久     (定政の子)
関七之助定?     (定久の子。{注・?=日冠に高})

関連記事
スポンサーサイト

管理者のみに表示する

トラックバックURL
→http://newbadtaste.blog.fc2.com/tb.php/1210-5433913c